【封魔師の黄昏は眩い】第3話 世間はそれなりに狭い

第3話 世間はそれなりに狭い

 
 
 僕がゲルト師匠に弟子入りしてから、一週間が経ちました。
 男の子の素振りも、すっかり板に付いてきたと自負しております。その証拠に、師匠はわたくし――いや、「僕」が実は成人女性だなんて、少しも疑っていらっしゃらないようです。このまま師匠の一番弟子として順調に技術を習得し、ゆくゆくは立派な封魔師に――
 そのような考えを抱きつつ計魔秤に分銅を足して、頬を緩めていた矢先の事。滅多に鳴らないドアベルが、カランカラン、と涼やかな音色を奏でました。
 紅玉の空き容量を計測していた師匠が、音に反応してふと頭を上げます。何気なく視線を追った僕は、自分の顔が一瞬で青ざめるのを感じました。
 もっと早くに気付くべきだったのです。「これほど近所に住んでいらっしゃるのだから、師匠と面識の無いはずがない」と。
「おう、ベルン――と、フィーか。今日はどうした?」
 師匠がそう声を掛けたお二方――黒すぐり色のお髪を引き詰めた長身の男性と、彼の後ろに控える兎人族の女性は、僕を見て同時に目を丸くされました。ただならぬ空気を感じ取られたのか、師匠が来客と僕の顔とを交互に眺め、怪訝な表情をされます。
「ん? お前ぇら、知り合いだったのか?」
「ああ。しかし、君は……」
 ベルンハルトさんが、少し困ったご様子で言い淀みました。
 どうかお願いですから、わたくしの正体を明かさないでくださいまし……!
 わたくしは背に冷や汗を滲ませ、懇願の思いを精一杯込めた眼差しを送る事しかできません。すると祈りが届いたのか、ベルンハルトさんは複雑な面持ちながら「いや、別人と見間違えたようだ」と否定してくださいました。背後のフィーさんは黙ったまま、わたくしに向かってニコッと微笑んで小首を傾げます。どうやら、お二人とも見過ごしてくださるおつもりのようです。本当に、ありがたいですわ。
「だろうな。こいつは、先週、俺ンとこに弟子入りしてきた小僧だ。住み込みで働いて貰ってる」
 師匠が、軽く僕を紹介しました。気のせいでしょうか、ベルンハルトさんは「もう知ってる」とでも言いたげな、呆れ顔を僕へ向けていらっしゃいます。視線が痛い。
「ええっと……はじめまして。マルコ・シュテルンです……。よろしくお願いします……」
 席を立って頭を下げれば、ベルンハルトさんは微妙な表情で「ああ」とだけ、フィーさんはにこやかに「よろしくお願いします」と返されました。
 師匠は、お相手についても紹介してくださいます。
「こいつらは俺の知り合いで、この町で魔杖を作ってるベルンハルトと、フィーだ。今後も何かと世話ンなるだろうから、覚えとけ」
 既に存じ上げておりますけれど。僕は、「はい」と言って頷きました。
「で? 今日はどうした?」
 改めて最初の問いを投げかけられたベルンハルトさんは、僕を一瞥して小さく溜息を吐いてから、師匠に向き直ります。
「まずは、礼を述べようと思ってね。先日の事件の噂はもう聞いているかい?」
「ああ、カタリーナが酒場で何か言ってたな。お前ぇンとこの子兎が攫われて、一悶着あったとか無かったとか」
「その件についてだ。フィーが君の作った魔石を持っていたおかげで、大事に至らなくて済んだよ。ありがとう」
「ありがとうございます」
 揃って深々と頭を下げたお二人に対し、師匠は呆れたご様子で「おいおい」と仰け反りました。
「そりゃあ、俺の手柄でも何でもねぇ。ただの偶然だろ。礼を言われる筋合いはねえ」
「だとしても、君の仕事に救われた事に変わりは無い。フィーの受けた魔術は相当に複雑で強力なものであったが、それでも弾く事が出来たのは、君の作った魔石が完璧だったからだ」
「危うく記憶を消されてしまうところでしたが、ゲルトさんの魔石のおかげで助かりました。ありがとうございました」
 率直な賛辞をお受けになった師匠は、照れ臭そうに「まあ、だったら良かったな」と頭を掻きました。
「そのような訳で、以前受け取った物は破損してしまった故、新しく同じ物を作って貰いたいのだが」
「おう、分かった。お前ぇンとこの納期もあるだろうし、急ぎでいいな?」
「すまないが、そうして貰えると助かる」
 ベルンハルトさんが頷くと同時に、師匠は机の引き出しから注文用紙を一枚取り出し、受注日と依頼主、そして概要の項目のみをさらさらと埋めてゆきます。脇から手元を覗いて見ましたが、かなり字がお上手でいらっしゃいます。本当に、人は見かけによりません。色々と大雑把そうな風貌ですのに。
 そのような事を考えつつぼんやり眺めていると、ふと師匠が顔を上げ、眉間に皺を寄せました。
「何だ? 何か言いてぇ事でもあンのか?」
 物言いは、相変わらず粗野です。少しは慣れましたけれど。
「いいえ」
 僕は、急ごしらえの笑顔で首を横に振りました。
 
 ***
 
「驚きました」
 わたしは玄関口で、三日振りに顔を合わせたお相手へ素直な感想をお伝えしました。だって、それは驚きましたもの。
「そうですよね……」
 ご主人様が発注された魔石を届けに来てくださった男の子――いえ、「女性」は、苦笑いで頭を掻いてらっしゃいます。
「マルガレーテさんは、ゲルトさんのお弟子さんになるおつもりでこの町へいらっしゃったのですね」
「……はい。黙っておりまして、申し訳ございませんでした」
「いえ。……驚きましたけれど」
 ええ、ええ、驚きましたとも。一週間ほど前にわたしとご主人様を助けてくださった見目麗しい女性が、同じ町内で、封魔師見習いの少年として目の前に現れたのですから。
「ゲルトさんは、マルガレーテさんのことを男性だと思ってらっしゃるのですか?」
「はい。……おそらくは」
「マルガレーテさんは、お弟子さんにして貰うために男性の振りを?」
「ええ、その通りです」
 確かに、髪を短くして男装をしていれば、ぱっと見は男の子に見えなくもありません。しかし、これだけ端正なお顔立ちと細い身体付きをしてらっしゃるのだから、四六時中一緒にいれば、気が付きそうなものなのに。ゲルトさんは、どれだけ鈍感な方なのでしょうか。
「今後も、バレないといいですね」
「ええ、本当に」
 肯定されたということは、まだしばらく男の子の振りを続けるおつもりなのでしょう。突っ込みどころが多すぎて続ける言葉に迷い、そこで会話が途切れてしまいました。数秒経った後、再び切り出したのはマルガレーテさんです。
「フィーさんは、市民権を取得できまして?」
 ああ、この話題ですか。そういえば、この方も一枚噛んでいらっしゃったのでした。
「はい、おかげさまで。その節は、ありがとうございました」
 本音を言うと、ありがたいような、そうでもないような、複雑な気持ちですが。わたしは一応、笑顔でお礼を述べておきました。そうです、マルガレーテさんに対して思うところはないのです。頼んでもいないのに大金を積んで、わたしをイーデルラント国民にしてくださったお優しいご主人様に対しては、未だに色々と申し上げたい事がありますけれど。
「それは良かったですわ! わたくしの書いた推薦状で問題の無いものか、心配しておりましたの」
 素が出てらっしゃいますよ、お嬢様。本当に、一週間ものあいだ、どうして気付かれなかったのか不思議で仕方ないです。
 あ、そうだ。良い機会なので、ついでに、ご主人様へささやかな仕返しをしておきましょう。
「滞りなく申請できましたよ。ベルンハルト様とは主従関係でなくなってしまいましたが、同じ家名もいただきました」
「まあ! では、今は『フィー・グラーデン』さんですのね」
「はい」
 わたしは、はにかみ微笑って見せました。当然ながら自分の顔は見えませんが、見目愛らしい表情に仕上がっている自信はあります。愛玩動物の嗜みとして、日々、鏡の前で練習してきましたから。
「夫婦になったみたいで、少し嬉しいです」
「えっ」と声を零すマルガレーテさん。一拍置いて、ポッと頬が赤くなりました。反応は上々です。
 わたしは人差し指を唇に当て、そんな彼女へ軽いウィンクを送ります。
「今のお話は、ベルンハルト様には内緒にしておいてくださいね」
「え……ええ。承知いたしましたわ」
 女性にとっては「内緒」って、あってないようなものなんですよね。知ってる。
「で、では、お仕事がありますので……わたくしは、そろそろ失礼いたしますわね」
「はい。お届け、ありがとうございました」
 
 ***
 
 あいつも男だなァ。ベルンのとこへ遣いを頼んだら、二つ返事で引き受けやがった。ありゃあ、フィーが目当てだな。この間も、あの子兎の顔を穴が開きそうなほど凝視してた事だし。確かに、見た目は人形、動きは小動物か何かみてぇで、男ウケも良いだろうが。
 駆け出しの小僧が色恋なんぞに現を抜かして仕事を疎かにされちゃあ堪ったもんじゃねえとは言え、正直なところ、あの年甲斐の無ぇオッサンが躍起になって若い娘の虫払いをしてる様を見てっと、てめえがくたばる前にさっさと適当な若い奴のとこへ嫁がせてやりゃいいのにと思うし、その点、俺ンとこの弟子は歳も近そうで、気立ても器量も悪くねえ。ちっとばかし、応援してやりたくはなる。
 もっとも、若さ以外に敵う要素があるとも思えねえけどな。ま、俺がしてやれるのは精々、ベルンのとこへの遣いを増やしてやる事くらいか。
――そうだ。
 丁度いい、再来週は収穫祭だ。俺自身は祭りなんぞに興味ねえから例年仕事漬けだったが、今年は前日から工房を閉めてやるか。人手が増えた分、量産品の受注も増やして小金も稼げるようになった事だしな。小遣いと休みくれえ、くれてやらねえと。
「祭りへ行くのに他に知り合いがいねえなら、あの嬢ちゃんを誘ったらどうだ?」とでも言ってやれば、喜んで行って来ンだろ。自称保護者に門前払い食らっちまったら、それはそれ。残念だったな、って事で。