【魔杖職人の朝は早い】閑話1 魔杖職人は絶対に屈しない

やったね!だいたい屈してる糞みたいな番外編が増えたよ!

閑話1 魔杖職人は絶対に屈しない

 
 
「ベルンさんとフィーさんは、お付き合いをされ始めたのですか?」
 藪から棒に問われた私は、口の中の紅茶を思わず吹き出しかけた。
「何を言っているのかね、マルコ君。そんな訳がなかろう」
 全力で否定に掛かったが、私の斜め向かいに座る、短い金髪の少年――否、少女は、懲りずに「ふうん、そうなのですか?」と小首を傾げて続ける。
「このあいだ師匠の工房へいらした時、そんな風にお見受けしたので、てっきり。国籍も、実は将来的にご結婚なさるおつもりで取得されたのかと思ってしまいました」
 本当に、物怖じしない娘である。相変わらず嫌味や邪気は全く感じられない故、生粋の天然なのだろう。憎めないところが、余計に憎らしい。
「勘違いも甚だしいよ。フィーとは、仲の良い父娘のような間柄で――」
 そう言いかけた時、隣の作業部屋へと続く扉が、ガチャリと開いた。そして、先程まで裏の畑で野菜を収穫していたフィーが、扉と壁の隙間から顔を覗かせる。
 私の額に、冷たい汗が浮かんだ。
 振り返った状態のまま固まっていると、右頬に泥を付けた兎耳の同居人が、可愛らしく微笑む。
「ごめんなさい、お待たせしました。それとも、お邪魔でしたか?」
「いいえ、お邪魔だなんてとんでもない! お待ちしておりました」
 そうだ。元々、マルコはフィーと茶話をするために訪れたのだ。邪魔者は私の側である。早々に退散するとしよう。
 だが、どうしてもフィーの頬に付いた泥汚れが気になる。これ以上、余計な事は言うべきでないと感覚的に解ってはいたものの、性分が仇となり、看過できずに指摘してしまった。
「フィー、頬に泥が付いているよ」
 彼女は目を丸くして「えっ」と声を零し、エプロンのポケットから取り出したハンカチで、慌てて左の頬を拭う。そして、少し恥ずかしそうな笑みを私に向けてきた。
「ありがとうございます、ベルンハルト様。お父さんみたいですね!」
 確実に聞かれていたようだ。私は、ごくりと固唾を飲む。全身の筋肉が石に変わる心地がしたが、どうにか「ああ」とだけ答え、逃げるように作業場へと戻り、中断していた鑢掛けを再開した。
 
 
 そして、夕方。仕事を終えた私は、二階の居間へと移動する。
 昼間の一件があったので、嫌な予感はしていた。
「おつかれさまです、ご主人様」
 台所には、柄杓を片手にスープの香りを纏って振り返る、お下げ髪の少女の姿。つい先程まで、鍋を掻き回していたと見える。幼な妻のようで、大変可愛らしい。
「うん。フィーも、お疲れ様。風呂には入ったかい?」
「ごめんなさい、まだです。すぐに入ってきます」
「急がずともいいよ」
 何の変哲もない、日常的なやり取りである。そう。いつも通りだ。私は内心、胸を撫で下ろした。
 しかし、そのような安心感を払拭するように、浴室の扉の前で振り返ったフィーが、笑顔で宣う。
「それとも、ご一緒に入られます?」
 金槌で後頭部を殴られたような心地がした。私は自分の顔が熱を持つのを感じつつも、往生際悪く平静を装い、笑みを返す。
「いきなり、何を言い出すのかね。面白い冗談だな」
「えっ……冗談のつもりではなかったのですけど。だって親子だったら、一緒にお風呂に入りますよね?」
「いや、君ほどの年齢の娘と風呂に入る父親はいないだろう」
 フィーは顎に人差し指を当てて天井を仰ぎ、「うーん」と呟く。上手く言い包める事ができた――かもしれない。
 そう思えたのも、束の間だった。
「でも、ベルンハルト様のお年は四十二ですよね?」
「ああ」
「それで、わたしは二十七。ベルンハルト様が十五の時のお子ということになります」
「……そうだね」
「でも、それって若すぎるかな、と。だからてっきり、ご主人様はわたしの年を十五くらいに見てらっしゃるのかと思いました」
「…………」
 無邪気な笑顔で追い詰められる。言葉の端に、一寸の棘も感じられない。だからこそ、裏に潜む感情が全く読めなかった。
「……怒っているのかね?」
 フィーが、きょとんとした表情で小首を傾げる。
「どうしてです? 怒ってなんかいませんよ?」
「……そうか」
 私は、彼女から目線を逸らした。
「えっと、それで、お風呂は……」
「一人で入りなさい」
 
 
 これで終わる事を、切に祈っていた――のだが、それほど甘くは無かった。
 フィーと入れ違いに浴室へ入り、椅子に座って体を洗っていると、出し抜けに扉がノックされる。私が振り返るのと同時に、それはガチャリと無遠慮に開かれた。
「ご主人様、お背中をお流しいたします」
 顔を覗かせたのは、兎耳の少女。想定外の事態に、私は思わず石鹸を取り落してしまった。その手で、慌てて身体の中心部分を隠す。
「いっ……いや、結構だ」
 混乱しつつも半ば反射的に返事をしてから、一呼吸置いて、眉根に皺を寄せる。
「……さすがに、許可無く浴室に入ってくるのはどうかと思うがね」
 そう諌めると、フィーは途端におろおろし始めた。
「ごめんなさい。昔はよく父の背中を流していたので、同じようにと思ったのですけど……」
「『娘のように思っている』とは言ったが、君と私は他人同士だろう?」
 事実である。事実であるが、自分で言っておいて胸が痛んだ。
 目の前の少女はと言えば、私の言葉が意外だったのか、呆然とした表情をしている。しかしすぐに納得したようで、少し寂しそうに微笑んだ。
「……そうですね。差し出がましい事をして、申し訳ありませんでした」
 パタン、と軽い音を立てて扉が閉まる。
 私は、今しがたの己の発言を、脳内で反芻した。
 湯を浴びた直後だというのに、背に寒気が走る。
――これは、下手を打ってしまった。それも、相当に。
 私は壁に掛けてある拭布を急いで腰に巻くと、その勢いで浴室の扉を開いた。驚いた様子でこちらを顧みる蜂蜜色の瞳と、視線が交じる。
 とにかく、弁解しなければ。
「その……君の事は、本当に、家族のように思っているのだよ」
 およそ半裸で述べる台詞ではない。それは解っている。しかし、この寂しげな微笑を何とかしたい。
「ありがとうございます」
 ぽつりと返された言葉は感情に乏しく、私の声が全く響かなかった証のように思える。地道に築き上げてきた信頼が、よもや不用意な発言一つで崩れ去ってしまうなどということは、無いと信じたい。だが、可能性は十分にある。私は、必死で二の句を探した。
「……そうだ。娘と言うよりは、妹だ。年齢的にも、そのほうがしっくりくる」
 そういう問題ではない。それも解っている。
「ありがとうございます……?」
 フィーも、同様の感想を抱いたのであろう。怪訝顔で小首を傾げた。
「年頃の妹が兄の背を流す事など、そう無いだろう。……解って貰えるかい?」
 頼むから、解ってくれ。
 半裸の中年を前に、彼女は更に難しい顔で首を捻る。
「わたしの出身地では、わりと普通のことだったのですけど……」
 私は、小さく溜息を吐いた。
「他所は他所、うちはうちだ。とにかく、家族同然でも、風呂には一人で入る。いいね?」
「はい。わかりました」
 
 
 これで終わりだろう。そうに決まっている。今日は何やらとても疲れたので、早目に寝よう。
 そう考えた私は、就寝前の挨拶を告げようと、二人掛けのソファで縫物をしているフィーの前に立った。しかし「お休み」を言う前に、ふと気に掛かった事を尋ねてみる。
「この間、蹴られた所の具合はどうかね? もう治ったかい?」
「はい。大体は」
 彼女は笑顔でそう答えたが、「大体」という事は、恐らくまだ痛むのであろう。医者からは、結構な痣になっていると聞いた。心配である。
 思いが顔に出ていたのか、フィーが作業中の手を膝へ下ろし、可愛らしく微笑んでくれた。
「大丈夫ですよ。あと一、二週間もすれば、たぶん痣も消えますから」
「そうか」
 私も、控え目な笑みを返す。しかし内心では、彼女に危害を加えた元同僚に対する憎悪が渦巻いていた。
 あの男は、心底許せない。今度ばかりはそう簡単に牢の外へ出てくる事もなかろうが、また私の前に現れる事があれば、手ずから不能にしてくれる。
 そのような思考に気を取られていた故、フィーの次の行動に対する反応が遅れてしまった。
 彼女は手にしていた縫いかけの布物を脇に退けると、静かに立ち上がる。そして、何の気なくネグリジェの裾を持ち上げた。私はその様子を逐一目にしていたものの、「ほら、そんなに酷くないですよ」と言う声を聞いて、ようやく我に返る。
 眼前に露出した肌色。そして、小さな赤いリボンが付いた、白のフレアパンツ。そこから伸びる、童顔の割に成熟した脚線美。肝心の痣など、大して目に入らなかった。
「もう黄色くなっているので、そのうち――」
「分かったから、しまいなさい!」
 私はたくし上げられた絹織物をフィーの手から奪い取ると、素早く下に降ろす。自分でも解る。今、私の顔は滑稽にも真っ赤に染まっている事だろう。心臓が早鐘を打ち過ぎて痛い。息苦しさは、説教に変換した。
「全く、はしたない。君も年頃の女子なのだから、慎みを持ちなさい。そのように開け広げに肌を見せるとは――」
 捲し立てるように諌めたが、フィーはきょとんとして小首を傾げたのみだ。全く響いているように見えない。私は己の鼓動を落ち着かせる用も兼ねて、深く嘆息する。
「こんな歳だが、私も一応男なのだ。少しは意識してくれ……」
 そう懇願しておいて、自分で違和感を覚えた。フィーの表情を窺えば、彼女も不思議そうに見詰め返してくる。
「ご主人様は、先ほど、わたしのことを妹のように思ってくださってると仰ってましたよね?」
 ああ。違和感の正体は、それか。私は、手に汗を握った。
「……うん」
「わたしは、ご主人様のことをどう思えばよろしいのでしょう。兄として? それとも、異性として?」
 こちらのほうが訊きたい。
 フィーは情け容赦なく答えを待ち、改めて赤面する私の目を、困った風の上目遣いで見上げている。悔しいが、愛らしい。
「……白黒付けないといけないものかね?」
「兄として見て欲しいと仰るのであれば、間違っても恋愛感情など抱くわけにはいきませんから」
 人の心とは、そう自由に切り替えの利くものであろうか。いや、少なくとも彼女には可能であるのやもしれない。しかし、私はどうだろう。
 私とフィーとでは、年齢も体格も考え方も、あらゆる面で大きな差がある。だからこそ、家族のように大切に想いはしても、それは娘や妹に抱くのと同じ種類の愛情である「べき」だ。頭ではそう考えていても、恐らく、今以上の関係を望む己も存在しているのだろう。認めたくは無かったが、認めざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
 私は右掌で、フィーの頬を優しく撫でる。鑢を掛けたばかりの木肌のように滑らかな肌触りだ。
「では、仮に『異性として見て欲しい』と言ったら、君は私をどう想ってくれるんだい?」
 フィーは苺色のお下げを揺らして、ニコリと微笑む。頬に触れた手に小さな手が重ねられ、その暖かさに、思わず喉が鳴った。
 このような状況下で、何を言うのかと思えば。
「ごしゅじんさまはかぞくじゃないおとこのひとだから、はしたないのはだめ」
 あからさまに棒読みされ、肩から一気に力が抜ける。私は引っ込めた手で頭を抱え、盛大に溜息を吐いた。
 私は、フィーに弄ばれたのだろうか。
 しかし、それを問い詰めたところで「仰る意味がよく解りません」とでも返され、はぐらかされそうな気もする。
「……家族の間柄でも、恥じらいは必要だと思うのだが」
「家族のことを『そういう目』で見たことがなかったので、考えが至りませんでした」
「……今後は改めなさい」
「はい」