【魔杖職人の朝は早い】第10話 契約コースの変更はランチの後で

とりあえず、ここで一区切り。本人たちが良ければそれでいいんだ。
一作目「魔杖職人の朝は早い」は、あと0話を書いたらとりあえず終わりになります。
ですが、この二人の何だかよく解らん関係は、二作目以降にもちょこちょこ続きます。

第10話 契約コースの変更はランチの後で

 
 
 てっきり、お話し合いをされた後はお二人とも幸せそうな雰囲気になられているものと思い込んでおりましたから、三階から降りて来られたベルンハルトさんのお顔を拝見した際には、本当に驚きましたわ。何とも形容し難い複雑な表情をしていらっしゃったので、不躾とは存じつつも、つい「フィーさんから、良いお返事はいただけまして?」と伺ってしまいました。するとベルンハルトさんは、苦笑交じりに「うん、一応ね」とお答えくださいました。「一応」とは、何でしょう。とても気になりましたけれど、これ以上お二人の事情に首を挟むのも憚られましたので、詮索は控えました。
 その晩は、事前のご提案通り、ベルンハルトさんの工房に宿泊させていただきました。あんなことがあった日の夜ですもの、「やはりわたくしは失礼して、宿屋へ泊まります」と申し上げたのですけれど、フィーさんとベルンハルトさんに、揃って引き止められてしまいました。お二人とも、何故か必死なようにお見受けしたのですが、わたくしの気のせいだったのかしら。
 ただ、ベルンハルトさんはフィーさんのお傍に付いていて差し上げたいということでしたので、わたくしがベルンハルトさんのベッドをお借りする事になりました。男性らしい香りがして、少々ドキドキいたしました。あっ、いえ、決して、変な意味ではございませんのよ。
 
 
 ぐっすりと眠らせていただき、翌朝、居間へお邪魔すると、部屋の端の台所でフィーさんがベルンハルトさんにお説教されていらっしゃいました。と申しましても、無言でお料理をされているフィーさんの後ろで、ベルンハルトさんが一方的に説得なさろうとしているという、何とも不思議な光景でしたわ。どうやらベルンハルトさんは、フィーさんのお体を心配されていたようです。フィーさんは見るからにお元気そうなご様子で、わたくしも一安心いたしましたが、ベルンハルトさんの長いお説教を聞いている内に、わたくしも「ここはベルンハルトさんにお任せして、フィーさんはお休みになっていたほうがよろしいのでは?」という気持ちが沸いてしまいました。口を挟むのも失礼と思い、黙って拝見しておりましたけれど。それにしてもフィーさん、あの状況下でお料理を完遂なさるなんて、なんと芯のお強い。わたくしも見習わなくては。
 お野菜の味が活かされた美味しい朝食をいただいた後、わたくしはわたくしで用事がございましたので、名残惜しくはありましたが早々にお暇を告げました。出て行く間際、お二人揃って「宿屋に泊まるくらいなら、今夜もうちへ来なさい」とか「野宿は絶対にダメですよ」とか「怪しい人に付いて行ってはいけないよ」とか「お菓子に釣られないでくださいね」とか、兎角いろいろとアドバイスをくださいました。きちんと心に留めておこうと存じます。
 
 ***
 
 玄関先でフォン・シュヴェルスタット嬢を見送った後、私はその足で、フィーを作業場へと誘った。早朝から長々と説教をしてしまった所為か、彼女は心なしか訝しげに後を着いて来る。また何か言われるのではと疑っているのかもしれない。打撲の痛みも引かぬ内から普段通り働こうとする短慮を諌めたとは言え、口が過ぎただろうか。少しばかり後悔した。
 作業机の前で屈み込むと、一番下の引き出しを開く。中から取り出したのは、野苺の花模様に兎の絵柄を織り交ぜた装飾短杖だ。
「これを、君にと思ってね」
 私は両掌の上に載せたそれを、フィーに差し出した。
「わたしに……?」
 目の前の杖と私の顔とを見比べ、小首を傾げる少女。困惑を含んだ表情を向けてきた彼女に対し、私は控え目に微笑んで頷いて見せる。
 つかの間、迷った風をしていた彼女だが、やがて恐る恐るそれを手に取った。
 反応に困ったのか視線を落とし、無言のまま装飾彫刻を鑑賞し始める。使用者に合わせて通常より小さめに作った杖を、子供のような小ささの白い指先が撫で擦った。
「すべすべしてる」
 初見の感想にしては斬新である。確かに手触りにもこだわってはいるが、出来れば装飾のほうを褒めて欲しかった。
 適当に回転させつつ杖を眺め続けていたフィーの手が、ふと止まる。絶えず彼女の表情を窺い続けていた私は、その瞬間、ふっくらした頬が僅かながら薄桃色に染まったのを見逃さなかった。
「うさぎさんの目が、わたしと同じ色なんですね」
「君のために作ったものだからね」
 我ながら、聞くに堪えない台詞だと思う。今後は、アルフレートを馬鹿にすることも出来ないであろう。しかし、長い耳をピンと立てて顔中真っ赤になるフィーが見れたので、恥を忍んだ甲斐もあったというものだ。全体が苺色に染まった頭を、意図せずほくそ笑みそうになるのを堪えつつ見下ろしていると、彼女がそろりと上目遣いで見上げてきた。その可愛らしさに、こちらの心臓も跳ねる。
「あの……これ、本当にいただいてしまってもよろしいのでしょうか?」
「ああ。君にいらないと言われたら、捨てるしかないな」
 小さな唇が、きゅっと窄んだ。そして薄く開き、ぎこちなく笑みの形を作る。
「……ありがとうございます」
 相変わらず、さほど嬉しそうには見えない。しかし、このような反応を何度か目にする内に、実は心から喜んでいる際には恐縮してしまい、素直に気持ちを表現出来ずにいるだけなのではと思えるようになった。当然ながら満面の笑顔で受け取って貰えたほうが嬉しいものの、少し不安げに微笑みつつ瞳を潤ませている様も、それはそれで愛おしいものである。
「日常使いし易いように作ったからね。仕舞い込まずに使ってやって欲しい」
 そう念を押しておかなければ、部屋の装飾品に成りかねない。読みは当たっていたようで、フィーは一瞬だけ複雑な表情をした後、苦笑しつつ「はい」と頷いた。
 
 ***
 
 ご主人様の作ってくださったお昼ご飯を食べた後、わたしはご主人様に連れられてお役所へ出向きました。
 朝はあれほど動くなと仰っていたのに、馬車に揺られるのは許容なさるのでしょうか。振動が、それなりに鳩尾に響くのですけれど。きっと、わたしの気が変わらない内に手続きを済ませてしまいたいなどと考えてらっしゃるのでしょうね。それが正解ですよ。
 お役所に到着すると、ご主人様は慣れた様子で窓口まで行かれ、何枚かの書類と、札束を提出されました。国籍登録には現金も必要だと小耳に挟んだことはありましたが、どうやら、結構な額のようです。余程お止めしようかと思いましたけれど、ご主人様に恥をかかせてしまうのも忍びないので、ここはぐっと堪えました。文句は帰ってから申し上げることにいたしましょう。
 提出された書類の中には、数か月ほど前にわたしも署名をした、主従契約書が含まれていました。窓口の女性は内容を確認すると、控えと思われる書類を取って来られます。そして、その二枚の紙は、その場で廃棄されました。これで、ご主人様の思惑通り、わたしたちの主従関係は解消されてしまったわけです。少し不安になります。「後で雇用契約を結ぶ」と約束してくださったご主人様を信じるしかありません。
 全ての書類に不備の無いことが確認されると、一枚の紙を手渡されました。国籍の登録に必要な事項を記入する用紙です。わたしはご主人様に促され、空欄を埋めていきます。と言っても、そう多くはありません。上から、氏名、年齢、出身地、持病の有無。これから就く予定の職業には、ご主人様の指示通り「職人助手」と書きました。むしろ「家事手伝い」のほうがしっくりくると思うのですけれど。おそらく、それだと何かしら問題があるのでしょう。
 最後に、現住所と、戸籍登録名を書くのですが――
「なんて書くべきでしょうか、ベルンハルト様」
「現住所には『王都 第三職人街、十八番地、魔杖工房』と書いておきなさい」
「はい」
 わたしは、ご指示の通りに記入しました。問題は、その下です。
 わたしの出身地であるレーベラントでは、一般的に獣人は家名を持ちません。わたしの名前は「フィー」。それだけです。ですが、このイーデルラント国では、ほぼ全ての国民が家名を持っているのです。
「家名の欄には、何を書くべきでしょうか」
「そこは自由に決められるものだから、君が考えるといい」
 そう仰られると思ってましたよ。そういうの苦手なこと、分かってて言ってますよね?
 わたしは暫くのあいだ考える素振りだけ見せた後、これでもかと言うほど困った表情を作ってご主人様を見上げ、「思いつきません」と訴えました。ご主人様は、ニコニコしてらっしゃいます。「そうだろうね」とでも言いたげなお顔です。
「どうしても思いつかないのであれば、『グラーデン』と書いておきなさい」
 ご主人様の家名です。わたしは「はい」とお返事して、躊躇なくそう書きました。
 ですが、全てがご主人様の意のままに運んでしまうのは、何故か少々悔しくもありました。これまでのご主人様たちに対しては、そんな風に思ったことなかったのに。
「同じ家名をいただけるなんて、なんだか結婚するみたいですね」
 笑顔でそう申し上げてみたら、ご主人様はぽかんとお口を開けられた後、耳まで真っ赤になりました。トマトみたい。
 
 ***
 
 晴れてフィーがイーデルラント国民となった後、私たちはその足で雑貨屋へ寄って、二枚綴りの契約書用紙を購入して帰った。
 帰宅するなり、一階の客用ソファーにコーヒーテーブルを挟んで向かい合わせに座り、頭を突き合わせて契約書を作成していく。文面は、ほぼ昨夜の言葉通りである。最後の一行――フィー・グラーデンはベルンハルト・グラーデンを主人とし、いつ何時も従う事――と書こうとしたところで、私は手を止めた。
「このような契約書が、本当に必要なのかね」
 先程まで薄く微笑みつつ私の手元を見守っていたフィーが、一瞬、眉を曇らせる。しかし、すぐに可愛らしい笑顔を作って「はい」と返事した。
「何故、そこまで主従関係にこだわるんだい?」
 目の前の少女は悪戯っぽく微笑んだまま、兎の耳をぱたりと後ろに寝かせて小首を傾げる。
「ベルンハルト様を、ご主人様とお呼びしたいからです」
「それだけであれば、契約など無くとも、好きに呼べばいいだろう」
「いいえ。ご主人様とお呼びできるのは、ご主人様だけですから」
 言っている意味が、全く理解できない。しかし彼女は長い間、他者に隷属する事で命を繋いできたのだ。私には決して解り得ない感情があるのかもしれない。
「……そうか」
 私は、最後の一文を一気に書き上げた。
「この契約書に則れば、君は君の一存で私の元を去る事は出来なくなるが、私から契約を破棄する事はいつでも可能だ。もし君が望むのならそうするから、遠慮なく言いなさい」
 自分で言葉にしてみても、面倒な事この上ない関係である。だが、フィーは嬉しそうだ。
「わたしから契約の破棄をお願いすることは一生ありませんので、ご主人様のお好きなようになさってください」
 そう言い切った。
――「一生」か。
 この先の人生を想像して、私は思わず赤面してしまう。口元まで緩みそうになった。
 ここで、ふと気付く。
 まるで「婚姻契約書」のようではないか、と。
 そう考えると、彼女の意図するところが少し解った気がした。おそらくフィーは、私たちの関係を「主人と従者」に止めておきたいのだ。それも、一生涯。
「終生傍に居てくれるつもりであれば、従者としではなく、妻としてでも構わないのだがね」
 冗談を言う風で探りを入れてみたものの、余裕の笑顔で首を横に振られてしまう。彼女は半ば奪うように私の手の中から羽ペンを引き抜くと、素早く契約書を自分の側へ向け、躊躇う事なくサインした。
「二重契約になってしまうので奥様にはなれませんけど、ご主人様がお望みでしたら、恋人にはしてくださっても良いのですよ」
 そのように言いながら契約書をくるりと回し、ペンと一緒に私の前へ差し出してくる。ペンを受け取った私は、自身の顔面に熱が集中していくのを感じつつ、あえて深く嘆息した。
「あくまで、対等な関係は望まないと言うのだね」
 ならば、どうしてくれようか――等と物騒な考えが浮かんだ事実は無かった事にして、清廉な振りを決め込む。
 そしてフィーの名前の上へ、若干線を太目に、己の名前を書いた。