【魔杖職人の朝は早い】第7話 飛んで火に入るなんとやら

※戸籍だの国籍だのがごっちゃになっていたので加筆訂正しました。
 公民からやり直したほうがいい。

第7話 飛んで火に入るなんとやら

 
 
「お前ぇ、そのニヤついた面、どうにかしろよ。気持ちわりぃな」
 封魔師のゲルトにそう指摘された私は、表情筋を引き締め、一つ咳払いをして誤魔化す。
「ノロケなら他所でやれ」
「惚気ではない。大体、彼女とはそういう関係ではないのだからな」
 注魔器の置かれた作業机の前に座る、橙色のバンダナを頭に巻いた無精髭の男は、訝しげな顔で「そうは見えねぇが」と返してきた。
「どう見えようと構わないがね」
 周囲が何を邪推しようが、事実に変わりはない。彼女は大切な家族のような存在であり、決して男女の関係になど成り得ないのだ。
 ゲルトには、世間話ついでに「近頃、フィーが作り笑顔以外にも可愛い表情を見せてくれるようになって嬉しい」と話しただけである。家族に対して抱くのであれば、当然の感情であろう。それを、惚気と取られるとは。彼の頭のほうが沸いているのではなかろうか。
「ま、幸せそうで結構なこった。ほら。出来たから、これ持ってさっさと帰ぇれ。一人身の俺ぁ、お前ぇと違って忙しいんだ」
 呆れ顔でそう言うと、彼は半球形の封魔紅水晶を差し出してくる。これは、新しく受注した杖の制作に必要な材料だ。特殊な魔術回路と、それを発動させるのに必要な魔力を封じておく必要があったため、封魔師の彼に制作を依頼していた物である。品物を受け取った私は、代わりに、示し合わせていた作業料を手渡した。
「ありがとう。また、よろしく頼むよ」
「おう。お疲れさん」
 
 ***
 
 ご主人様のお使いで森の入り口まで野草を摘みに行った帰り道、カタリーナさんの工房の前で、変わった女性を見かけました。見るからに高級そうな可愛らしいワンピースを身に纏った、長い金の巻き毛が美しい女の方です。おそらく、貴族のご令嬢なのでしょう。従者を連れた貴族の方ならばご主人様の工房へもよくお客様としていらっしゃいますし、職人街で見かけることも少なくはないのですが、若いご令嬢が一人でこのようなところにいるのは異例です。この辺りは比較的治安が良いとは言え、お金持ちの婦女子など、犯罪に巻き込まれる可能性も高いですから。
 その方は右往左往しながら、カタリーナさんの工房の陳列窓に飾られた巨大レンズをしきりに眺めてらっしゃいます。もう何十年も購入者が現れずに飾られ続けていると伺ったレンズですが、それをお買い上げされるつもりなのでしょうか。それとも、単に鑑賞しているだけなのでしょうか。後者のような気がします。
 女性を横目に入れつつ脇を通り過ぎようとすると、ふと、振り返ったその方と目が合ってしまいました。わたしは、思わず立ち止まります。
「ねえ、あなた――」
 声まで掛けられてしまいました。どうしよう。
「なっ、なんでしょう……?」
「そのお耳……獣人の方でいらっしゃって?」
「はい、仰る通りです」
 質問の意図は分かりませんが、相手の女性は難しい顔で小首を傾げ、何やら考え始めます。少し経ってから、再び口を開きました。
「その……お聞きしたいことがあるのですけれど」
「何でしょう?」
「こちらは、ゲルト・シーゲル氏の工房でして?」
「いえ、違いますよ。レンズ職人のカタリーナ・ポーリアンさんの工房です」
「そうですか……」
 わたしの答えを聞いて、再び考え込んでしまわれました。ゲルトさんの工房を訪ねるつもりだったのでしょうか。ひょっとして、道に迷われている?
「あの、よろしければご案内いたしましょうか?」
 親切のつもりで提案してみましたが、お相手はものすごい勢いでブンブンと首を横に振ります。同時に、長い髪がわさわさ揺れました。綺麗な御髪ですが、この方には少々お邪魔そう。
「よいのです。その……お訪ねするつもりはありませんの。場所が知りたいだけで……」
 そこで女性は何かを思い付いたようにパッと顔を上げ、キラキラした瞳で「そうですわ!」と声を上げました。
「あなた、この近くにお住まいなら、地図を描いていただけないかしら?」
 地図を描くことは可能です。しかし、紙とペンを使用するならば、ご主人様からの許可をいただきたいところ。何しろ紙は、少しばかりお高い品物ですから。それに、たった今お会いしたばかりの、目的も何も分からない方に、そこまでして差し上げても良いものか図りかねます。
「本当に申し訳ないのですが、わたしは一介の従者ですので、ご主人様の許可がないことには……」
 残念そうな素振りで、そうお答えしておきました。お相手も、同じく残念そうに「そうですか……」と項垂れます。言動に疑問は生じますが悪い方ではないようですし、何とかして差し上げたくはありますけれど。
「よろしければ、わたしのご主人様の工房までご案内しましょうか? ご主人様が、地図を描いてくださるかもしれません」
 すると一転、その女性の顔が、ぱあっと明るくなりました。本当に、悪い方ではなさそう。むしろ、邪気が感じられなさ過ぎて、一人にしておくのが心配になってきました。
「それは、ありがたいお話ですわ! ぜひ、案内してくださらないかしら」
「ええ、どうぞ。ここから、すぐ近くです」
 
 ***
 
 どうして、こんなことになってしまったのかしら。
 とても感じの良い獣人の女の子が、親切にも「ご主人様」の元へ案内してくださると仰るから、黙って付いてきてみれば。
「それで? フォン・シュヴェルスタット嬢。要するに君は、家出をしてきたと言うのかね?」
 何ですの、この大きなおじ様。笑顔で話されていらっしゃるのに、細められた灰色の目から、ものすごい重圧を感じますわ。なんと申し上げますか……怖い。
「そっ……そういうことになりますわね」
 わたくしをここまで案内してくださったお下げ髪の子は、この「ご主人様」とやらに早々にお使いに出されてしまわれ、今この部屋には、わたくしと、怖いおじ様の二人きり。どなたか、助けて。
「であれば、家に連絡を入れないといけないね」
「そっ、それは困りますわ!」
「しかしだね。君が私の元を訪れてしまった以上、今後君に何かあれば、私も『知りながら放置した』責を問われる事になるのだよ。解って貰えるかい?」
「仰る通りですわ。けっ、けれど! 何もないよう気を付けますし、わたくしの身に何かあっても、ご迷惑のかからないように致しますから……!」
 わたくしは、両手を組んで祈りました。家への連絡だけは、どうか、どうかご容赦くださらないかしら。
「そうだねぇ……」
 工房主のおじ様は顎に手を遣り、わざとらしく天井を仰ぐ風をされます。まるで、節税対策について思案されている時のお父様のようですわ。
 ふと、おじ様はわたくしに向き直り、満面の笑顔を送ってこられました。思わず、びくっと震えてしまいます。
「では、君に一つお願いがあるのだが。それを聞いて貰えたら、君の家族には黙っておいてあげよう」
 ここへ来て、取引とは。わたくし、一体なにをやらされるのでしょう。怪しいお薬の運び屋など……?
「内容にもよりますわ……」
 ごくりと唾を飲んで、おじ様の「お願い」とやらを待ちます。けれど、それは意外なものでした。
「君をここまで連れて来た少女がいただろう? 成人した貴族である君に、彼女をイーデルラント国民にするための推薦状を書いて貰いたいのだよ」
「それは……従者の彼女に、市民権を差し上げたいということでして?」
「ああ。その通りだ」
 なんということでしょう。このおじ様は、とても親切で可愛らしいあの女の子に、自由を与えてあげようとなさっているのだわ。危ないお仕事を依頼されるのではと勘違いしていた自分が恥ずかしい。
「そういうことでしたら、喜んでお手伝いさせていただきますわ! けれどわたくし、従者に国籍を与える方法について、詳しく存じ上げなくて……。それは、当主の助力無しにも可能なのかしら?」
「ああ。君、身分を証明できる物は持っているかね?」
「ええ。出生証明のハンカチーフを携帯しておりますわ」
「それは結構。ならば、今から私と一緒に役所へ来て貰いたい。そこで一筆書いて身分を証明し、推薦状を公式文書として認めて貰うだけだよ」
「ずいぶん簡単ですのね」
「貴族の特権の一つだからね」
 
 ***
 
 この娘は、少々、頭が弱いのではなかろうか。今日、初めて出会った少女と男を安易に信用し、何をしでかすとも知れない難民に、簡単に国籍を与えてしまうとは。自分の推薦した相手が、邪な目的を持って市民権を得ようとせん者であれば、どう責任を取ると言うのか。将来、このような者が領地を治める可能性があるとなれば、この国の行く末を憂慮せざるを得ない。
 もっとも、今日の私にとっては、誠に都合の良い事ではあったのだが。
 相手が貴族の娘であると知れた瞬間に思い付いた策は、拍子抜けする程すんなりと成就し、役所へと出向いた私たちは、速やかに公式の推薦状を発行し終えた。国籍取得の手続きは本人の意向を確認してから行いたいため、フォン・シュヴェルスタット嬢には「必ずしもこの文書を使用するとは限らない」旨も伝えておいた。後はフィーの了承を得て、再度、役所を訪れるのみである。
 結果的に友人を売る形になってしまったが、相手がこの娘であれば、彼の身に危険が及ぶ事も無かろう。無論、「何か起きたところで私の名前は出さないように」と、念は押してある。
「フィーと相部屋で、床に布団を敷いて寝かせてしまう事になるが、それでも構わなければ今夜はうちに泊まっていくと良い」
「大変、ありがたいお申し出ですわ。謹んでお受けいたします」
 娘は胸の前で両手を組み、瞳を輝かせた。頭は弱いが、素直で情深い女子のようだ。貴族としてはどうかと思うが、好感は持てる。
 それにしても、フィーが国籍を取得出来た暁には、何をしてやろうか。まずは、小遣いか。我が国の法律では、国民は商取引以外で他国の者に金銭を与えてはならないと定められている為、自由になる現金を持たせてやれなかったが、これからは違う。欲しい物を欲しい時に購入できるだけの額を持たせてやろう。
 銀行口座も開設し、ささやかながら財産も与えてやりたい。そうだ。私の遺産受取人として、彼女を指名する手続きもしておこう。そうすれば、私の身に何かあったとしても、それなりの暮らしをして行ける筈だ。
 本人が望むなら、好きな職に就くこともできるようになるし、転居も、婚姻も――
 そこまで考えたものの、フィーが自立した後に一人残される己を想像して、胸が詰まる。故に「まだ暫くは私の元に居てくれるだろう」と自分に言い聞かせておいた。
 
 ***
 
 ご主人様が「彼女と二人で話したい事があるから、悪いが、一刻ほど出掛けてきて欲しい」と仰ったので、わたしは市場へお買い物に出掛けました。今は、その帰り道です。一刻半経ったので、そろそろお家へ戻っても問題ない頃合いかと思います。
 出掛けに「後で戸棚へしまっておいて欲しい」とお預かりした宝石があるので、帰ったら、まずは忘れずにポケットの中のこれを片付けておくことにしましょう。
 家の前に着き、ドアノブを回し押すと、扉が開きました。
「ただいま帰りました、ご主人さ――」