【魔杖職人の朝は早い】第6話 ただいまのあとは蜂蜜レモン

第6話 ただいまのあとは蜂蜜レモン

 
 
 年齢をお伝えして以後、ご主人様はほとんどわたしに触れてこなくなりました。どこかよそよそしくさえあります。どうやら、ご主人様はこの三か月間、わたしのことを子供だと思って接してらしたようです。まあ、外見で判断すれば致し方ないこととは思いますけれど。「兎人族に出会ったらとりあえず成人と思え」というのは、一般常識だと思っていました。
 兎人族はヒト族よりも身体の成長が早く、年をとっても見た目が若々しく、そして少しだけ寿命が短いのです。元々は、どこかの国で戦争が起きた際、魔術師たちが使い捨ての兵士として造り出した種族と伝えられています。大した力も持たないわたしたちは、今でも他種族に消費されることが多いのですから、皮肉なものです。
 そのようなわけで、わたしを人間扱いしてくださる優しいご主人様は、加えて大人の女性扱いもなさろうとしてらっしゃるようなのですが――これがなかなかどうしてズレており、とにかくモヤモヤします。
 まず、お風呂がわたし優先になりました。主従関係にある以上、一番風呂に浸かるのはご主人様であるべきなのに、命令口調で押し切られてしまいました。他にも、日常的に何かと優遇されてしまいます。逆に気を遣うので、やめていただきたいのですけれど。
 それから、やたらとお花を贈られるようになりました。外出される度に、ちょっとした花束を買って帰られるのです。嫌ではありませんが、恋人や夫婦でもないのに――ましてや、ただの従者に対して――わけがわかりません。どう反応したら良いものか困ります。
 あとは、ご自分の体臭をすごく気にされるようになりました。お仕事終わりなど、わたしに見えないところでにおいを嗅いでいらっしゃるようですけれど、おおよそ気付いておりますし、どんなに頑張って体臭を消そうとしたところで、わたしに対しては全く意味がありません。だって、兎人族は鼻が良いんですもの。どうか、香水など使い始めませんように。
 
 
 それはそれとして、今日はご主人様のお使いに出掛けます。
 わたしは魔除けの髪飾りを忘れずに付けた後、麻袋で包んだお菓子の入った籠を持ち、玄関の扉を開けました。
「行ってきます、ご主人様」
 
 ***
 
「ああ。気を付けて行ってきなさい」
 使いに出したフィーの背中を見送ると、私は作りかけの杖を仕上げにかかった。
 前日に塗っておいた樹液は、すっかり乾いている。良好な手触りだ。
 こまごました素材が収納された木箱を戸棚から取り出し、その場に立ったままで、装飾文様の一部と杖底を飾る石を選んでいく。極小の黄水晶が四つ。杖底用に、大きめな半球形の赤銅鉱が一つ。それらを持って作業机へ戻ると、再び杖を手に取った。
 ピンセットで黄水晶を摘み、杖表面に掘られた台座へと押し当てる。ピンセットの先端と指先とを慎重に入れ替え、宝石を強く押し込めば、それは確りと台座に収まった。同様にして、残り三つの極小粒も嵌め込み終える。この作業は、かなり気持ちが良い。すぐに終わってしまうのが残念である。
 杖底にも赤銅鉱を嵌め込むが、こちらは大きさがあるため、単純に押し込むだけとはいかない。速乾性の透明な接着剤を杖側に薄く塗ってから、台座を微妙に削って調整しつつ、慎重に石を入れていく。――うん、上手く嵌った。
 最後の最後に、台座周りにも接着剤を塗って乾かし、補強する。多少、宝石に付いてしまった分は、木串の先端で慎重に拭っておく。これで、一本の魔杖の完成である。
 私は軽く机を片付けてから、出来上がった短杖を改めて検品し始めた。杖全体に施された彫刻の図案は新作で、花模様に、四匹の跳ねる兎の絵柄を織り交ぜてある。兎の眼は、蜂蜜色の宝石で飾った。この図案を使うのは、おそらくこれが最初で最後になることであろう。
 仕上がりは完璧だった。
 
 ***
 
 朝から訪れたのは、ローレンツさんの工房。ローレンツさんは熟練の革細工師で、この街でも指折りの職人さんです。大きなものではカーペットなどの家具から、技巧が必要な武具防具、衣服、果ては女性に喜ばれそうな小物まで、革製の物なら何でも作ってしまわれます。森へ行く際にご主人様が着ている外套も、ローレンツさんに仕立てて貰った物だと伺いました。
 私のご主人様は杖の核として魔獣の毛や革を使用されることも多いため、度々、ローレンツさんから端切れを分けて貰っています。それを受け取りに行くのは、わたしの仕事。わたしと主従契約を結ぶ以前はご主人様が受け取りに行っていたようですけれど、そのお仕事をわたしに任せてくださった理由は、初めてローレンツさんの工房を訪ねた際、すぐに解りました。
 わたしが工房の扉を開くと、勘定台も兼ねた作業机で小物を制作していたローレンツお爺さんが顔を上げます。
「こんにちは、ローレンツさん」
「おや、フィーちゃんかい。いらっしゃい」
 職人らしく短く整えられた真っ白な口髭の両端を上げ、いかにも好々爺といった笑顔で迎えてくださいました。
 制作台の上に野兎の毛皮が載っているような気もしますが、わたしは何も見なかったことにします。逸らされた視線に気付いたのか、ローレンツさんはさりげなく「それ」を机の下に隠してくださいました。ありがたい。
「いつものやつだね?」
「はい。お願いいたします」
「ちょっと待ってなさい、すぐに包んでくるから」
 そう言うとローレンツさんは「よっこらせ」と立ち上がり、作業机の、わたしから見て右上の引き出しを開けます。そうして取り出されたのは、棒付きのべっこう飴。今日は、跳ねているウサギの形でした。とっても綺麗で、かわいいです。
「ほら、新作だよ」
「ありがとうございます!」
 わたしは差し出された飴を受け取ると、遠慮なくいただきます。甘くて美味しい。
 ローレンツさんは、ご近所では「飴のおじいちゃん」として有名で、遊びに来る子供たちに自作のべっこう飴を配っていらっしゃるのです。何でも、二十年ほど前からべっこう飴細工をご趣味にされているのだとか。「べっこう飴細工師さん」と呼んでも差し支えないように思います。
 わたしもお使いに来る度にいただいているので、子供と間違われているのかもしれません。しかも毎回ウサギ型ですから、わざわざわたしのために作ってくださっているのでしょうか。少々複雑ではありますが、飴をいただけるのであれば、子供扱いされても良いです。
 飴を渡して奥の部屋へ消えていったローレンツさんは、しばらくすると、中くらいの麻袋を片手に戻ってきました。中には、魔獣の毛皮の端切れが数種類入っているはずです。わたしはお礼を言いつつそれを受け取ると、持ってきた籠の中にしまい、入れ違いに、手作りのお菓子が入った袋を取り出しました。
「こちらも、いつものです。どうぞ」
「うむ、ありがとうね」
「いつもの」を受け取られて、ほくほく顔のローレンツさん。袋の中身は、メレンゲ菓子です。ローレンツお爺さんは、わたしのお知り合いの中では一番の甘党なのです。それはもう、おやつの時間にはお砂糖をそのまま召し上がっていらっしゃるのではと疑うほど。このメレンゲ菓子も、お砂糖増し増しで作っているのですが、このくらいの甘さが丁度良いのだとか。ちょっと、お体を心配してしまう域です。
 用事を全て終えたわたしはローレンツさんにお暇を告げ、食べかけのべっこう飴を片手に工房を出ようとします。すると、扉に手を掛けたところで――
「わっ!」
「おう! 驚いたな。フィーか」
 ちょうどご帰宅されたフーゴさんと、鉢合わせてしまいました。引いてもいないのに扉が開いたので、すごくびっくりしました。
「しっ、失礼しました。こんにちは、フーゴさん」
「ああ。こんにちは」
 フーゴさんはローレンツさんの息子さんで、狩人をされています。頬に傷のある、いかにも強そうな風貌のおじさまです。元傭兵なのだと聞きました。単身で魔獣も狩れる、すごいお方なのです。
 フーゴさんは持っていた弓矢を戸脇に立て掛けると、ローレンツさんに向き直ります。
「ただいま、親父」
「おかえり。今日もお疲れさま」
 挨拶を交わす様子がとても自然で微笑ましく、家族がいるっていいな、と思いました。わたしにも親兄弟のいた時期はありましたが、もう二度と帰ることは叶わないので、少し羨ましいです。
――珍しく故郷のことを思い出して、ちょっと泣きそうになってきました。
 これ以上は何も考えずに、いただいた飴を舐めながらご主人様のところへ戻ることにしましょう。
 そうです。何も考えず、多くを望まないのが、一番良いのです。
 
 ***
 
 不意に、玄関扉に取り付けられているドアベルが鳴った。おそらく、フィーが帰ってきたのであろう。私は手にしていた杖を、慌てて机の一番下の引き出しにしまう。
「ただいま帰りました」
 案の定。隣の部屋から、フィーの幼い声が聞こえた。私は椅子から立ち上がると、作業部屋の扉を開けて出迎える。
「お帰り、フィー。飴は――」
 言いかけて、私は思わず言葉を切った。たった今、扉を閉めたばかりの少女が、きょとんとした顔で私を見上げてきたからだ。
「――どうかしたかい?」
 顔に木屑でも付いていたのだろうか。掌で自分の頬を撫でてみるが、特に異物感は無い。私は手を下ろすと、何かに驚いたような表情で固まったままのフィーを眼下に、次の言葉を待った。
 するとどうしたことか、突然、蜂蜜色の大きな瞳から、ぽろぽろと滴が落ち始めたではないか。
「……ッ、どうした!? 私が、何かしたか?」
 焦った勢いに任せて華奢な両肩を掴みそうになったが、あわや数センチというところで寸止め、手を空中に泳がせる。返事はない。彼女は相変わらず私を見詰めた状態で、涙を流し続けている。まるで、人形が泣いているかのようだ。
 どうすることもできずに戸惑っていると、ようやく、フィーがハッと我に返った。その双眸に、生気が戻る。ここでようやく自身の頬を伝う雫に気付いたのか、彼女は混乱した様子で自分の顔に手を遣り、水滴を視認して、改めて目を見開く。
「えっ、わたし、泣いてたんですか? どうして?」
 こちらが訊きたい。
「私にも良く分からないのだが、帰ったら、突然……」
 私が言い淀むと同時に、再びフィーの目から涙が零れ出した。勘弁して欲しい。だが、初めて見る泣き顔も可愛い。
 今度は意識を飛ばしてはいないようで、少し遅れて、彼女はふにゃりと顔を歪めた。
「……っ……ぅえ……っく」
 控え目で、頼りない嗚咽が漏れ始める。私が混乱している間に、突然、抱き付かれた。ドサッと鈍い音を立てて、籠が床に落ちる。
 一体、何が起きているんだ。
 私はとにかくフィーを宥めようと、しゃくり上げる彼女を軽く抱き返し、黙って背中を撫でてやる。柔らかく暖かい体躯を両腕に納め、改めてその小ささを実感した。
「っ……ごめ……っなさ……っく」
「大丈夫だよ。落ち着くまで、こうしているから」
 努めて穏やかに囁けば、わたしの脇辺りを掴む手に力が入る。腹部にも、より強く額が押し付けられた。全身で頼られているのを感じる。
 小さくて、愛おしい。
 辛そうに泣いている彼女には申し訳ないが、初めて感情らしい感情を見せてくれたことに対して、徐々に嬉しさが込み上げてきた。抑えようと必死になっても、つい口元が綻んでしまう。フィーからは見えないので、良しとするか。
「何か言いたいことがあるなら言いなさい。全部聴くから」
 優しくそう促してみても、腕の中の少女は弱々しく首を横に振っただけであった。私はそれ以上何も言わず、彼女の啜り泣きに付き合う。
 
 
 ようやくフィーが泣き止んだのは、一刻ほど経った後であった。
 彼女は黙って顔を上げると真っ先に時計へ目を遣り、昼食の時間をとうに過ぎていると知るや、急に慌て始めた。
「ごっ、ごめんなさい……! 今すぐ、昼食のご用意を――」
 私は三本の指先をフィーの上唇に当て、その言葉を制する。触れたそこは生暖かく、しっとりと柔らかい。少々息苦しくなって、鼻から空気を逃がした。
「今日はいいよ。私が軽く何か作るから、君は休んでいなさい」
「ですが……」
「いいから」
 一言で封殺し、彼女を二階へと誘う。そして、動かないよう念を押しつつ食卓の椅子に座らせると、私は台所に立った。フィーが来てくれてからというもの、炊事は彼女に任せきりにしていた為、料理など本当に久々である。
 鍋で湯を沸かしつつ、食材のしまわれている戸棚から食パンとチーズ、蜂蜜、レモンを取り出してくる。食パンとチーズは適当にスライスし、レモンは半分に切った。食パンにはチーズを載せ、作り置きのトマトソースを塗ったら、石窯に入れて焼く。沸いた湯はマグカップへ注ぎ、レモンの絞り汁と蜂蜜を加えて掻き混ぜる。非常に雑ではあるが、これで良いか。
 ものの十五分で調理を終えた粗食を手に卓へ戻ると、トーストの乗った皿とマグカップをそこへ並べる。泣き腫らした目のフィーが、すんっと鼻を鳴らした。
「では、食べようか」
「はい。いただきます」
 彼女は真っ先にマグカップを手に取り、数回ほど息を吹いて湯面を冷ましてから、中の液体を一口啜る。そしてようやく、僅かに微笑んだ。何も言わずとも解る。程良い甘さだったのだろう。反応が可愛らしい。
 そのまま黙ってトーストも平らげ、最後に「ごちそうさまでした。美味しかったです」と、笑顔で食事を締めた。少々わざとらしい気もするから、今度は作り笑顔なのかもしれない。自分で食べても味は悪くなかったので、その発言に嘘はないのであろうが。
「少し落ち着いたかい?」
「……はい。取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
 謝る必要など無いのだが、フィーは深々と頭を下げてくる。私は彼女を安心させたくて、努めて笑顔で接した。
「構わないよ。むしろ、君は何かと我慢をし過ぎなのではないかね。今日のように、泣きたい時には泣いてくれたほうが、私も安心するよ」
 目の前の少女が、しゅんと肩を落とす。
「涙の理由は、聞かせてくれるかい?」
「…………」
 問い質しても、珍しく黙ったままだ。再び、蜂蜜色の瞳が潤み始めた。余程語りたくないのかもしれない。
「言いたくないのなら、それでいい。何かして欲しいことがあれば、遠慮なく言ってくれて構わないからね」
 そう伝えたところで、おそらく何も要求しては貰えないのだろう。だからこそ、余計に心配になるというのに。
 フィーは、痛々しい笑顔で「ありがとうございます」と返しただけだった。