【魔杖職人の朝は早い】第5話 三回まわってワンとは言わせない

第5話 三回まわってワンとは言わせない

 
 
 先日は、本当にびっくりしました。
 だって、目が覚めたらベッドの上で、お酒臭いご主人様の抱き枕になっていたんですもの。
 一刻ものあいだ動けず、敏感な鼻が捉え続ける酒場の移り香に耐えるのは、かなりの苦痛でした。お酒のにおいもそうですけど、煙草や、香りの強いお料理のにおいなども大の苦手なのです。仮に、三食昼寝付きゴロゴロ生活を保障していただけたとしても、酒場でだけは絶対に飼われたくありません。ええ、絶対に。
 そのようなわけで、かっこいい私のご主人様に抱き締められつつ髪をもふもふされたところで全くときめかなかったのですが、目を覚ましたご主人様からは、真っ赤なお顔で「女子の君に対して、このように破廉恥な行為をしてしまい本当に申し訳ない」とか「端で一眠りするだけのつもりだった」とか「もう二度としない」とか、とにかくすごい勢いで謝罪と弁解を並べられました。「もう二度としない」と仰られても、抱き締められたり撫でられたりするくらいは、わりと日常的にされている気もするのですけれど。いろいろ複雑な思いはありつつも、笑顔で「大丈夫です」とお返事しておきました。
 
 
 そうして「詫びをさせて欲しい」と連れて来られたのが、週末である今日の商店街です。わたしたちの住む職人街からは、乗合馬車で二十分ほどの場所にあります。
 どうやら、ご主人様はわたしに新しい服や靴を買ってくださるおつもりのようです。本音を言うと、酒場と同様、たくさんの人が行き交う場のにおいも苦手なため、できればお買い物は避けたかったのですけれど。先日は、それもあって「追加の衣服は必要ない」と申し上げたのですが、隣を歩くご主人様がとても嬉しそうなので、今日は黙って拝受したいと思います。
 ご主人様と主従契約を結んだ当時、わたしは無一文かつ着の身着のままでした。ご主人様はそんなわたしをカタリーナさんに預け、「服と日用品を購入してきなさい」と送り出してくださいました。以来、ご主人様のお言い付けもあって、商店街まで出向く用のある際にはカタリーナさんに同行しておりましたから、ご主人様と二人で商店街を歩くのは今日が初めてだったりします。嬉しいような、緊張がそれを上回るような。粗相のないようにしなければ。
 それにしても、商店街には香水を纏った人が多く、強い香りが入り乱れていて、鼻が曲がりそう。対して、魔杖工房であるご主人様のお家はほとんど草木の香りしかしませんし、ご主人様からは大抵、香草入り石鹸の爽やかな香りがするので、とても居心地が良いのです。早くも帰りたくなってきました。
 まず始めに訪れたのは、既製品を扱っている婦人服店です。何軒か服屋さんがある中でも、いつもカタリーナさんと一緒に来るお店でしたので、ご主人様は予め聞き及んでいたのかもしれません。大衆向けというよりは貴族のお嬢様方が着るような、フリルやリボンがふんだんにあしらわれた可愛らしいお洋服が置いてあります。貴族の女性は好きなんですよね、こういうお洋服。私も、よく着せ替え人形にされたものです。それに関しては、嫌ではありませんでした。可愛いお洋服は嫌いじゃありませんから。
「好きな服を選びなさい」
 開口一番、とても良い笑顔で仰られましても、少々困ります。カタリーナさんが一緒なら、他愛のない雑談を交えつつ、あれでもない、これでもないと試着させられて、最終的に三着くらいに絞っていただいた中から、一番お値段の安い物を選べば良いのですけれど。自分で自分の物を選ぶのは、得意でないのです。
 目の前に展示されている服たちとご主人様とを交互に見ながらおろおろしていると、見兼ねた店員さんが、オススメのお洋服を持ってきてくださいました。ピンクのフリフリです。さすがに、これはないんじゃないでしょうか。家事がやりにくそう。
 そう思いつつも黙って笑顔で対応していたら、あれよあれよという間に試着室へ案内され、着付けをされてしまいました。ご主人様のほうへ視線を遣ってみれば、腕組みなどして、上機嫌ここに極まれりといったご様子でわたしを眺めていらっしゃいます。ご主人様も、こういうのがお好きなのでしょうか。初めて、愛玩動物扱いされている気分になりました。なぜか、ほんの少しだけ気が立ちます。
「あの、選んでいただいて申し訳ないのですが、もう少し動きやすい服はありますか?」
 
 ***
 
――驚いた。珍しく、フィーが自分の希望を述べている。ひと月ほど前、「家計の足しに家庭菜園を作っても良いか」と尋ねられて以来だろうか。
 そう思いつつ試着中の彼女を眺めていたら、急に不安げな表情をして「いえ、これでも良いのですけど」と、発言を翻してしまった。これはまずった、考えが顔に出てしまっていたのかもしれない。
「そうだね。お嬢さん、悪いが、もう何着か動きやすそうな服を見繕ってくれないかな」
 店員の若い女性が「かしこまりました」と言って試着室を出て行く。フィーは変わらず落ち着かない様子で、私を見上げてきた。
「ご主人様は、このお洋服がお気に召しましたか?」
 ああ、大変似合っていて可愛いよ。と返したい気持ちもあったが、そう答えてしまえば、彼女は「わたしもこれが一番気に入りました」等と、自分の意思に反してこの服を選ぶのだろう。
「私の意見は気にしなくていいよ。君は何を着ても似合うから、気に入った物を買うといい」
「……ありがとうございます」
 明らかに戸惑っているようだ。そんなところも可愛いが、今は素直に喜んで欲しい。
 気の利いた会話もできずに黙って立っていると、間を置かずして、五着ほど服を持った店員が現れた。使用人が着るようなかなり地味な物から、試着している服より多少フリルが少ない程度の派手な物まで、バランス良く取り揃えられている。さすがは本職といったところか。
 私は、フィーが順に全て試着させられていく様子を、ひたすら眺めるのみ。時間はかかったものの、それだけの価値はあった。着衣によって少女の印象はガラッと変わるが、そのどれもが、とにかく可愛らしい。思わず「全部いただこう」と言い切りそうになった程である。
 肝心のフィーは、本気で迷っているようだ。しきりに値札を目にしているから、一番安い物を選ぼうと考えているのかもしれない。しかし、それにしては五着全てをあれこれ見比べている。
「値段は気にせずとも構わないからね」
 一応、釘を刺してみた。するとフィーは、今までにないほど困惑した表情で、私に二着の服を差し出してくる。
「この二つで迷っているのですが、ご主人様はどちらが良いと思われますか?」
 なるほど。一方はフリルもレースも付いていない黒色の服で、最も地味だが安値。もう一方は、濃緑色で程良くレースがあしらわれた、中程度の価格帯の服。どちらかと言えば、後者のほうが似合うように思われる。本人もそう感じていながら、値段が気に掛かっているのだろうか。
「フィーは、緑色のほうが気に入ったのかい?」
「えっと……わたしは、どちらでも良いのですけど」
 私が「安いほうにしろ」と言うなら、それに従うということか。そのような気遣いは無用なのだが。
「自分で選びなさい」
 少々、意地が悪かったかもしれない。フィーは、心なしか泣きそうな表情になっている。可愛い。
「……では、緑色のほうで……」
 
 ***
 
 お値段で選ばなかったのは、今回が初めてかもしれません。店員さんに全てお任せしたから、こうなってしまったのです。最初から自分で見繕うべきだったのでしょうか――あっ、ご主人様は、始めからそう仰っていましたね。……うう。
 予想外に高いお買い物になってしまいましたが、ご主人様はものすごくニコニコしてらっしゃいます。似合いそうなほうにして、正解ではあったようです。
 ご主人様がお支払いをなさったからなのか、店員さんは前回訪れた時とは違う可愛い包装紙で服を包み、リボンまでかけてくださいました。このリボンは、髪を結ぶのにちょうど良さそうです。解いたらとっておこうっと。
 大柄な男性には少々不似合いな包みを小脇に抱え、ご主人様はお店を後にします。わたしも、そのすぐ後ろをついて行きました。
「次は靴だな」
 本当に、早く帰りたい。
 
 
 結局、おそらく履く機会などほとんど無いであろうピカピカの靴――ベルトと花飾りの付いた、すごく可愛らしいものです――や、上等なシルクのネグリジェ、細い毛糸で編まれた暖かいガウンまで、わたし好みのものを買っていただきました。一介の従者にはご主人様のお財布事情など知る由もありませんが、貴族でもないご主人様がこんなに散財してしまって、本当に大丈夫なのでしょうか。まさか、わたしのせいで破産してしまったりなんかしませんよね?
 おまけに、露店で売られていた綺麗な青いガラス玉のペンダントまでプレゼントしてくださいました。もっとも、こちらも強引に選ばされ、不承ながら買っていただいたのですけれど。わたしの好みを聞いていただけるのは、嬉しくはあっても、それ以上に不安になります。動いて話せる着せ替え人形として、ご主人様の趣味の服装を押し付けられていたほうが、よほど安心できるのですが。
 ご主人様はとてもお優しいし、わたしを人間扱いしてくださるけれど、それに慣れるわけにはいかないのです。いつ、また愛玩動物に戻るとも知れないのですし。だから、過剰に甘やかされると少々困るのです。
 今までにわたしを愛玩動物として買われた貴族の方々は、その辺を弁えているのか、絶対にわたしの意思を問うことはありませんでした。飼い主様がわたしに何かを尋ねる時は「愛玩動物として最適な回答をしなさい」ということなのです。ですから、愛玩動物は自分の考えなどなるべく持たないほうが、幸せに暮らせます。
 それなのに、特に最近のご主人様は、事ある毎にわたしの意向を伺ってこられるのです。主従契約を結んだ直後から、家事然り、お使い然り、わたしのさじ加減で働くよう要求されることは多々ありましたが、娯楽を享受することまで迫られるなんて。まさかご主人様は、わたしに「自活しなさい」とでも仰るおつもりなのでしょうか。怖いです。
 
 ***
 
 相変わらず、フィーはあまり嬉しそうに見えない。しかし、多少は自分の好みを主張して貰えるようになっただけ、まだしも救われる。この調子で信頼関係を築き、いずれ我儘など言って貰えるくらいになれば良い。
 乗合馬車で夕暮れの職人街まで戻り、紙包みや化粧箱を両手に携えて家路を歩いていると、道中、カタリーナに出会った。市場で買い物をした帰りであろう。彼女も、野菜の入った麻袋を抱えている。
「やあ、ベルン――と、フィーもいるのか。珍しいね、二人で買い物なんて」
「ああ」
「こんばんは、カタリーナさん」
 彼女はさりげなく私の脇へ回ると、後ろを着いてきていたフィーの頭をぞんざいに撫でた。たまに二人で茶会を開いているくらいだ、仲が良いのだろう。女同士だから、或いは私より気心が知れているのかもしれない。少々羨ましい。
 三人で同じ方向へ歩きながら、会話を続ける。
「それ、フィーの服?」
「うん。君が教えてくれた店へ行ってきたよ。なかなか良い品が揃っていた」
「だろう? フィーも、気に入ったのはあったかい?」
「はい!」
 今更ながら、満面の笑顔だ。そういう顔は、購入したその場で私に向けて欲しいものである。
「なに仏頂面してんだ、ベルン」
 胸を拳で小突かれた。私は表情筋を緩め、一つ咳払いをして誤魔化す。
「……今までは君に付き添って貰っていたが、次からフィーの買い物には私が同行する事にするよ。勝手も解ったのでね」
 そう告げると、カタリーナは私を無視して、斜め後方のフィーへ目を遣った。そして呆れた様子で肩を落としつつ、私ではなく彼女に向かって「あっそう、そりゃ残念だ」と言う。私も急ぎ振り返ってフィーの顔色を窺ったが、いつもの笑顔だった。カタリーナの前では、一体、どのような表情をしていたのだろう。非常に気になる。
「でもさ、下着が必要な時は、さすがにアタシに言いなよ?」
 今、言われて初めて気付いた。すっかり失念していた。
「そうだね。近々、頼みたい」
「おう! 任しとけ!」
 ここで私の工房付近に到着し、会話も一段落ついたので彼女と別れようとしたものの、カタリーナは「そうそう」と続ける。
「そのガラス玉のペンダントも可愛いけど、次は、ちゃんと宝石の付いたアクセサリーでもプレゼントしてあげなよ。フィーも大人の女性なんだからさ」
「そうするよ」
 空返事をしてから脳内で彼女の言葉を反芻し、「おや?」と思う。言われてみれば、私はフィーの年齢を知らなかった。見目は十二、三ほどでも、物腰等から、実年齢は十五、六くらいと推測していたのだが。
「じゃ、またね」
「ああ」
 カタリーナと別れた直後、私は小声でフィーに問うてみる。
「失礼するが、時に、君の年齢はいくつなんだい?」
「今年で二十七になります、ベルンハルト様」
 私は図らずも、持っていた靴箱を取り落してしまった。