【魔杖職人の朝は早い】第4話 貸した借りは酒代で返せ

第4話 貸した借りは酒代で返せ

 
 
 この職人街で奴と出会ったのは、およそ十年前のことだ。ようやく一つ所に腰を落ち着ける気になった俺は、街の一角にある空き家を買い取って住み始めた。まずは、交友関係――出来れば、可愛い女の子との――を広げようと出向いたこの街唯一の酒場で、年配の革細工師から紹介されたのが、奴だった。歳が近く、双方とも一代で工房を構えた職人ということもあって、最初は良好な関係を築こうとした。おそらく、奴も同じ腹積もりでいた筈だ。
――が、会話を始めて十五分後には、喧嘩になっていた。
「ウマが合わない」とは、こういうことを言うのだろう。会話の端々で遠回しに俺の軽薄さを責め、女性関係を改めたらどうか等と余計な説教を垂れ、元貴族だと知れた暁には「国民の血税で育った坊やが、家出なんぞして職人ごっこか」なんてほざきやがった。ただし、最後の発言はその一年後に謝罪付きで撤回されたので、そこだけは水に流している。
 それでも、十年もの間、同じ街で何かと顔を合わせていれば、少しは関係も改善する。職人としての腕は確かだし、根は悪い奴でないのだ。何度でも言うが、「ウマが合わない」だけで。
 そんな奴が何を血迷ったか、出会ってこの方初めて「酒を奢れ」などと言ってきた。笑い飛ばして断ってやろうと思ったものの、先日、我が工房の防犯設備を特急かつ格安で強化して貰った借りがある。それに、向こうもわざわざ俺を誘うくらいだ、俺にしかできない相談事でもあるのだろう。深くは追求せず、とりあえず乗ってやることにした。僕は善人だからね。決して、弱みを握ろうだなんて考えてないよ。
 約束の時間より十五分――レディが化粧直しに要する間ほど遅れて酒場へ入ると、奴は既に飲み始めていた。ちゃっかり料理も注文してあるが、そちらにはまだ手が付けられていない。真面目なのか、何なのか。
「君は、時計も読めないのかい。約束の時間を、もう十五分も過ぎているのだが?」
 開口一番、嫌味ったらしく文句を言われた。
「相変わらず細かいね。時間にうるさい男は、女の子に嫌われるよ?」
 いつもの奴なら、ここは「君のような遊び人になる気はないから結構」などと斬り返してくるところだが、今日は黙って眉間に皺を寄せただけだった。俺の勘が囁く。「ああ、これはフィーちゃん絡みだな」と。
 俺はウェイトレスの女の子を呼んでジョッキ一杯のビールを注文すると、軽く身を乗り出して言ってやった。
「まあ、ご主人様大事のフィーちゃんなら、君よりも時間に正確なんだろうけどね」
 俺の顔は、ニヤついていたと思う。いや、だってさ。こいつのこんな面白い様を見られる機会は、今まで一度だってなかったからね。案の定、ベルンは顔を真っ赤にして、俺を睨み付けてきた。ああ、気分がいい。
 しかし、この程度で感情に流されたりしないのが、この男なのだ。くどくど説教してこなければ、良い奴なんだがなあ。誠に勿体ない。もっとも、こいつに憎まれ口を叩かれているのは、この街で俺だけのようだが。全く、腹が立つね。
「そうだな。フィーは、私の機嫌を損ねまいと必死なようだからな……」
 そう言うと、ベルンは頭を抱えた。大丈夫か? こいつ。
「それは、主従関係なら仕方ないんじゃないかね。従者は、いつ主人に放り出されようが文句も言えないわけだし」
「やはり、そう思われているか……」
 ベルンが、ゴン、と自分から机に額を打ち付ける。相当、重症らしい。
「で、今日の要件は何なんだい? 何か、僕に聞きたいことでもあるんじゃないの」
「それなんだが」
 奴は一旦言葉を切りつつ顔を上げると、ジョッキの中身を一気に呷った。おいおい。君、酒に強くないんだからそんな飲み方するなよ――などとは言ってやらない。お人好しのゲルトじゃあるまいし。醜態を晒すなら、それはそれで結構。後で物笑いの種にしてやろう。
「世間一般では、従者はどんな風に扱われるものなんだい? 元貴族の君なら、何か知っているのではないかね」
 ああ、それで俺に相談を持ち掛けたわけか。
「まあ、フィーちゃんみたいに可愛い女の子なら、大抵『そういう趣味』のオッサンとかが『そういうこと』でもするんじゃないかな」
 ベルンが、苦虫を噛み潰したような顔をする。そうだよねえ、可愛がってる女の子が今までそんな扱いを受けてきたとしたら、ショックだよね。気持ちは解る。
「マシな扱いだったとしても、タダ働きの使用人だね。と言っても、貴族の間では『ちゃんと使用人を雇えるだけの財力がある』っていうのも一種のステータスだから、余程ケチな御仁でもない限り、女性の従者を使用人にはしないかなあ」
 天井を仰いで、他に情報はないかと記憶を探ってみる。本当は、実家に居た頃の事なんてあまり思い出したくもないんだがね。君には絶対に言わないが、生憎、俺も「お貴族様」は大嫌いなんだ。
「あとは……そうだな。これはこの国の話じゃないけど、獣人を愛玩動物扱いする国もあるらしい。子供の頃、外国の貴族のご婦人が連れてるのを見たことがあるよ。兎人族は小柄で童顔だから、人気だって聞いた気がする」
 すると、ここでベルンが「それかもしれない」と呟いた。うん、それかもしれないね。俺も、そんな気がする。
「……どうすればいいと思う?」
「何が」
「いや、そのだな……」
 ベルンは言い淀んで、顎を掻く。自分でも、何を訊きたいのか分かっていないのかもしれない。それとも、酔っているのか。正直なところ少し面倒臭くなってきたが、優しい僕は続きを待ってやった。フィーちゃんのためと思って。
 暫く「あー」だの「うー」だの唸った後、奴はようやくまともな言葉を発した。
「私は、フィーと契約を結んでから、家族が増えたような感覚でいたんだ。だから、その……彼女にも、同じように思って貰えたらと考えているんだが……どうすればいいだろう?」
 俺は少し思案した後で、きっぱりと言ってやった。
「無理なんじゃないの」
 ベルンが項垂れる。いや、そこは君だって考えれば解ることでしょ? 気持ちは汲むけどね、気持ちは。もっと現実を見ようよ。
「大体さあ、フィーちゃんからしてみれば、君は絶対君主なわけだよ。王様から『君は今日から家族だよ、名目上の上下関係はあるけど対等に接してね』なんて言われても、全く気を遣わずにいられるかい? 家族のようになんて振る舞えるわけがないし、かと言って従者に徹することもできないし。君の考えを伝えたところで、余計に困らせるだけじゃないのかね」
 ぐうの音も出ないようだ。少し可哀想になってきた。
「……普通に優しくしてあげればいいんじゃないかな。そのうち、そんな風に思って貰える時が来るかもしれないよ」
 酔いが一気に回ったのか、目の前の赤ら顔の男は、机に突っ伏す。
「実は、きらわれていたりするのかもしれない……」
「それはないんじゃないかな。根拠はないけど」
「……かじょうなごきげんうかがいをされると、つらい……なにをしても、よろこんでもらえないし……」
 会話が成立していない上、呂律も怪しくなってきた。これはもう、ダメかもわからんね。
「じゃあ、契約破棄しちゃえば?」
「それはいやだ」
「ああ、そう」
 
 ***
 
 呼び鈴が鳴ったので玄関まで出て行ってみると、そこにはアルフレートさんの肩に凭れ掛かってぐったりしているご主人様の姿がありました。真面目なご主人様が酔い潰れてしまったことにも驚きましたが、そのご主人様をアルフレートさんが連れてきてくださったことには、もっと驚きました。お二人は仲が悪いと思っていたのですが、実はそんなことなかったのでしょうか。
 びっくりし過ぎて黙っていると、アルフレートさんが苦笑交じりに説明してくださいます。
「さっきまで酒場で飲んでいたんだが、酔い潰れてしまったみたいでね。この甲斐性無し、どこに転がしておけばいいかな?」
 わたしは、お返事に困りました。だって、アルフレートさんよりも大きなご主人様を二階まで運んでいただくのはさすがに申し訳ないですし、とは言え、一階にはお客様用のソファしかありませんし。少し迷った末、お客様用のソファへ寝かせていただくことにしました。
 アルフレートさんにお礼を述べて別れた後、わたしはどうにかこうにかご主人様のブーツを脱がせ終えると、二階へ行き、ご主人様のベッドから掛け布団を拝借してきます。普段はお掃除の時以外にご主人様のお部屋へ入ることはありませんが、用があればいつでも勝手に入って良いとの許可はいただいているので、たぶん、お叱りを受けることはないと思います。
 一階へ戻り、床に着かないよう気を付けながら羽毛のお布団を広げていると、ご主人様が「うーん」と低く唸って、薄らと目を開けました。ご自分でベッドまで移動してくださると良いのですけど。
「おはようございます、ご主人様。お水をお持ちしましょうか?」
「……うん」
 わたしは、隣の作業部屋へ急ぎます。お仕事中のご主人様が喉を潤す際に使うため、大きなシンクの脇に一つだけグラスが置かれているので、それに水を注いで戻りました。
 けれど、戻った時には、ご主人様は再び瞼を閉じていらっしゃいました。
「ご主人様。お水をお持ちしましたが……起きられますか?」
「……うん」
 お返事はあっても、動こうとする様子が見られません。仕方なく、ソファ前のコーヒーテーブルの上にグラスを置いて、ご主人様の肩を軽くトントンしてみます。予想はしていましたが、やはり起きる気配はありませんでした。
 それにしても、すやすや眠っているご主人様を眺めていると、こちらまで眠くなってきてしまいます。無理もありません。いつもの就寝時間を、もう三刻も過ぎているのですから。ご主人様は、出がけに「先に寝ていていい」と言い置いてくださいましたが、何だか憚られたので、起きて待っていたのです。結果として、それが正解だったようですけれど。
 ここで、問題が一つ。わたしは、どこで寝るべきでしょうか。そもそも、寝てしまっても良いものでしょうか。
 こんな時、ご主人様の傍の床で丸くなって眠るのが、良き飼い犬の行動なのでしょう。けれど、そんなことをしたら、またご主人様に悲しい顔をさせてしまいそうな気がします。どうやらご主人様は、わたしが「良い子」でいることを喜んでくださらないようなのです。
 良い愛玩動物というのは、ご主人様に全てを捧げて尽くし、自分の物はなるべく欲しがらず、無駄吠えしない、粗相をしない、そして従順な犬のように愛らしく健気な振る舞いをするもの。そうであれば高い確率でご主人様に可愛がって貰え、ぬくぬくと暮らせるのです。もちろん、愛玩動物扱いなんて良い気分はしませんが、それで安楽な暮らしが手に入るなら、犬にだってなりますとも。
 だから、今のご主人様が「私と主従契約を結ばないかね」と言ってくださった時も、今までと同じように、新しいご主人様に尽くせば良いものと考えていました。けれど、ご主人様がわたしを動物扱いどころか、従者扱いすらなさらないのは、想定外でした。愛玩動物でなければ、どう振る舞えというのでしょう?
 
 ***
 
 目覚めると、既に日が昇っていた。
 昨晩、どうやら私は珍しく酔い潰れたらしい。いつ、どうやって帰宅したのか、全く覚えていなかった。おそらく、一緒に飲んでいたあの男が送ってくれたのであろう。一応、後で礼を言いに行かねば。非常に気は進まないが。
 展示部屋のソファで寝ていたからか、身体が痛い。頭も、金槌で叩かれているかのようだ。
 靴が脱がされ、布団も掛けられているということは、フィーにも介抱をさせてしまったと見える。彼女には悪いことをした。きっと、帰宅時間は真夜中を過ぎていたであろうに。
 身を起こす気力もなく、ソファに横たわったまま周囲を見回すと、コーヒーテーブルの上のグラスが目に付いた。その、少し左――私の下半身のほうへ視線を移せば、苺色のふわふわした物体が眼中に入る。触り心地が良さそうだったので、およそ無意識に手を伸ばした。
 少し間をおいて、それがフィーの頭であることに気付く。
 私は、慌てて手を引っ込めた。ソファに突っ伏しているため顔は見えないが、すうすうと細い息を漏らしつつ小さく肩を上下させているので、眠っているのだと解る。
 何故、こんなところで? いや、それは愚問か。彼女のことだ、一晩中、私に付き添ってくれていたに違いない。
 私は深く溜息を吐いた後、ゆっくりと、極力静かに、鉛のように重い身体を起こす。その流れでソファへ腰かけ、右手で頭を押さえた。
 完璧に、昨夜の酒が残っている。気分が優れない。
 見下ろした苺色の髪は、いつものお下げが解かれた状態で、背の中程まで緩く波打っている。なるほど、結んでいない時は、このような長さだったのか。それにしても、艶やかで柔らかい、良い髪質だ。思わず撫でたくなるのも致し方なかろう。
 起こしてしまう可能性はあったものの、このままここに寝かせておくわけにもいかないので、上の階まで運んでやることにした。彼女の肩と膝裏に手を掛け、そっと抱き上げてみるが、目を覚ます気配は無い。しめたものとばかりに、階段を上がる。
 二階まで来たところで、私は歩を止めた。更に上の階――三階まで足を延ばせばフィーの部屋だが、女子の部屋に無断で入るのは少々躊躇われる。暫時迷った末、私の部屋のベッドに寝かせることにした。
 寝台に横たえ、室内履きを脱がせる。露わになった小さく白い足を見て、何やら如何わしい事をしている気分になった。
――いや、靴を脱がせただけだろう。靴を。
 私は小さく溜息を吐くと、再び一階へ、私に掛けられていた布団を取りに戻る。改めて、胃の不快感が凄まじい。不本意ではあるが、今日は仕事を休んで寝ていよう。
 一階と二階の往復は辛かったものの、フィーの為と思えば体は動いた。再度自室を訪れ、静かに布団を掛けてやってから、彼女の寝顔を眺める。眺めながら、こうして無防備に寝息を立てているところを目にするのは、今が初めてだと気付いた。より近くで観察しようと、ベッド脇に膝を突く。
 陶人形のように滑らかな肌に、長い睫毛、桃色の瑞々しい唇。それぞれ小振りな個々のパーツが、幼い少女にも見える童顔を形成している。本当に可愛らしい。頭から伸びる二本の耳が、その小動物的な可愛らしさに拍車をかけている。
 しかし、ここで自身の体の不調を思い出し、気分が台無しになった。同時に「私はどこで寝ようか」と考える。床以外に寝転がれる場所は、この家に三か所しかない。即ち、私のベッドか、一階のソファか、フィーのベッドか。最後の一つは選択肢に入らないので、二択になるが――私は「不調だから止むを得ない」と自分に言い訳しつつ、ベッドの端のほうに潜り込んだ。