【魔杖職人の朝は早い】第2話 魔杖職人の朝は早い

第2話 魔杖職人の朝は早い

 
 
 朝。わたしはご主人様よりも一時間早く――まだ外が薄暗い内に目覚めると、身支度を整え、まずは朝食にお出しするスープの仕込みを始めます。お野菜と鶏肉を刻んだら、それらと水を入れたお鍋を「コンロ」という台の中央に置きます。この台の右端には小さな正方形のパネルが付いていて、上に指を置いて短い呪文を唱えるだけで、お鍋の下の平たい石が高温になるように出来ています。ご主人様曰く、この国ではどの家庭にもある調理器具なのだそうです。なんでも、台の中には少し複雑な魔術回路が組み込まれており、パネルを媒介としてお鍋の下の石を発熱させつつ、詠唱者の魔力を内部の魔石に貯めて熱を持続させてくれるのだとか。魔術のことは難しくてよくわかりませんが、この調理器具はすごく簡単で便利です。わたしの故郷では、かまどに薪をくべ、火打石で火を点けてからお料理を始めるのが当たり前でしたから。
 この国の住宅事情で他にも驚いたことと言えば、二階でもお水が使えることと、お湯を張ったバスタブに毎日浸かれること。各家庭の裏手には貯水槽、温水槽、浄化水槽の三つが設置されていて、その内の貯水槽には、川や用水路から引いた綺麗な水が絶えず供給されているのだそう。さらに、貯水槽と繋がっている温水槽の水は、浴室のパネルを操作すると自動で沸かされてお湯になり、二階のバスタブまで配水管で送られる仕組みになっています。お水も同じように、呪文を唱えるだけで二階のシンクまで届くのです。とっても楽ちん。
 お鍋を火にかけた後は、一階へ降りてご主人様の作業場のカーテンを開けます。作業用の道具や製作中の商品を触るわけにはいかないので、作業机や棚の清掃はご主人様にお任せしていますが、床に散らばっている木屑のお掃除はわたしの仕事。手早く掃き集めたら裏口から外へ出て、塵取りの中身を焼却炉の中へ。今朝は風がないので、炉に火を入れます。ご主人様が作ってくださった日常使いのシンプルな杖を片手に、教わった通りの呪文を唱えれば杖の先に火が点るので、それを木屑に移しておしまい。初めは戸惑いましたが、今では慣れたものです。
 二階へ戻ると、お料理を再開します。スープは調味料で味を調え、パンはスライスして鉄の鍋蓋の上で温め。そうして出来上がった二人分の朝食をテーブルに並べて、居間のカーテンを開く頃、着替えを終えたご主人様が寝惚け眼で寝室から出てきます。肩より少し長い黒すぐり色の髪は、まだボサボサのまま。わたしがボウルに張っておいた冷水でお顔を洗った後、ご自分で髪を梳かし、白いリボンでささっと纏める仕草は、色気があってカッコイイです。
 ご主人様は朝が少し苦手なようで、たまに寝惚けて、起き掛けに無言のままわたしを抱き締めてきたりします。けれど、今日はちゃんと起きてらっしゃいました。嫌ではありませんが心臓に悪いので、そのほうがありがたいです。
 
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 昔から、朝は苦手だ。この街では早い時間に工房を開ける職人が多い故、周囲に合わせて無理矢理起きているものの、髪を整えるまではどうにも頭が冴えない。睡眠時間が足りていないわけではないのだろうが、本音を言えばもう少し寝ていたいと思う。もっとも、惰眠を貪ったところで余計に倦怠感が増すだけなのは承知している。
 しかし、フィーと暮らし始めてからは、憂鬱な朝も少し楽しみになった。スープの香りで目覚め、寝室の扉を開ければ兎耳の少女が髪と同じ苺色のエプロンドレスをひらめかせて振り返り、笑顔で朝の挨拶をしてくれるのだ。とにかく癒される。結婚生活とは、このような感じなのだろうか――そんな考えも浮かんだが、私のように甲斐性のない中年が今更、彼女ほど年若く可愛らしい妻を娶ることなど土台無理な話だろうと自嘲した。結婚せずともこのような生活が手に入ったのだから、私は運が良い。一生独身を貫く所存である。
 今日の予定を確認し合いながら朝食を摂った後は、揃って外出の準備を始める。杖の材料となる木の枝を探しに、森へ出掛けるのだ。
 私は探索用に誂えた革製の丈夫な外套を羽織ると、鉈や縄、楔、水筒、非常食などの入った大袋を肩から斜め掛けした。森の中には危険な獣も生息しているため、腰のベルトには長剣も装備する。とは言え、主な武器は日常より腰の右側に吊り下げている、年季の入った装身短杖のほうである。
 私の準備が済んだ頃、同じく支度をしていたであろうフィーが、三階から降りてきた。獣に出会ってしまった際には素早く逃げを打つことを前提とし、彼女の出で立ちは細身の革ズボンにロングブーツ、上衣は麻シャツの上に布製の短いジャケットという、比較的軽装だ。荷物も、シャツの上から巻いたベルトに日常用の短杖と小袋をぶら下げているのみ。半生を森と共に生きてきた兎人族の少女にとっては、それで十分なのだろう。何より彼女には、どんな鎧よりも強力な防具がある。
「準備はできたかい?」
「はい! いつでもお供できます」
 
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 森の中へ足を踏み入れてしばらくしたところで、わたしはピンと耳を立てて目を瞑り、周囲の音を聴きます。小動物が一匹、二匹、三匹――どうやら、危険な獣の気配はなさそうです。ひとまず役目を終えた耳をパタンと下げたら、今度は嗅覚に意識を集中させます。ご主人様のお目当ての樹木や野草を探すためです。
「……ベルの木でしたら、向こうのほうに何本か群生しているようです。近くにセルベ草も生えてますよ」
「そうか。では、その方角へ行ってみよう」
 ご主人様が目を細めて、大きな手でわたしの頭をわしゃわしゃ撫でてくださいました。嬉しい反面、ただでさえ好き勝手跳ねている癖毛が余計に踊ってしまうため、少し複雑な気持ちです。文句は自分の髪の毛に言います。
 わたしは笑顔で「はい」と返事をしつつ腰につけた袋の中から小瓶を取り出すと、帰り道の目印――いえ、鼻印にするため、中のハーブ水を一滴、地面に落としました。
「フィーのおかげで、本当に採集が捗るようになった。森で迷うことも獣と鉢合わせることもなくなって、助かるよ」
「お役に立てて嬉しいです、ご主人様」
 この反応を見るに、きっと今夜も「ご褒美に何か欲しいものはあるか」と聞いてくださることでしょう。衣食住をお世話していただいている身で厚かましいと思い、今まで黙っておりましたが、そろそろ裏庭の一角を畑にしても良いか伺ってみるつもりです。有機栽培の新鮮生野菜が恋しくて仕方ありません。
 道を逸れて森の奥へ進むと、確かにそこには立派なベルの木が何本か立っていました。ご主人様はさっそく杖の材料になりそうな枝を見繕い、手際よく鉈で切り落としていきます。太くて真っ直ぐな枝を十本ほど採取したところで、それらを縄で纏め上げ、大袋の中へしまいました。
「……よし。後は、前に仕掛けておいたランゲの樹液の採取瓶を回収したら、ひとまず終わりだな。場所は解るかい?」
「はい! 先導いたします」
 ランゲの樹液は、煮詰めたものを木材に塗って乾かすと光沢が出て、防水や耐久性強化の役割も果たしてくれる、この街で木工業を営む職人にとってはなくてはならないもの。お庭に木を植えて採取している方もいらっしゃるようですが、手入れのほうが面倒だという理由で、ご主人様は森で採取してらっしゃいます。でも、わたしが来る前は、採取瓶を設置した場所を度々忘れてしまったりもしていたのだとか。ヒト族は、体は大きくて丈夫ですがあまり鼻が利かないので、そういう面では不便なようです。利き過ぎるのも、時には困りものですけどね。
 採取瓶を回収したわたしたちは、早々に森を後にしました。行楽がてら、お弁当など持ってゆっくり探索する日もあるのですが、今日のご主人様には帰ってから仕上げたい仕事があるのだそう。この前、杖の発注をしてくださった、感じの良い貴族の方のものでしょうか。獣人というだけで酷い扱いをしてくる人も多い中、笑顔で接してくださる素敵な殿方でした。ただ、どうしてこう、一般的なヒト族というものは、兎人族を子ども扱いしてきたり、やたらと頭を触りたがるのでしょう? その程度であれば嫌というほどではありませんが「失礼しちゃうなあ、もう」と思うことはあります。あ、ご主人様は別ですよ?
 
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 帰宅した私は袋の中の枝を一階の倉庫へ仕舞うと、ランゲの樹液を流し込んだ鍋を作業場のコンロに載せ、弱めの熱に掛ける。鍋はそのままにして作業机へ移動し、制作途中の杖を手に取った。
 今日は、昨日、杖の核――魔力を貯め込む性質を持った鉱石と、魔術の発動に影響を与える各種素材をそれぞれ砕いたものを香草の煮汁で練り合わせ、魔術回路を記録した羊皮紙で巻いて細い棒状にしたもの――を仕込み終えた原型に、装飾文様を掘り込む作業に取り掛かる。まずは図案を描いた紙と杖の注文書を書見台の上へ置き、ピンで固定したら、それを見ながら原型の棒に鉛筆で文様を描いていく。図案の絵柄を原型に転写する技法もあり、そちらのほうが断然早いのだが、今回は既存の意匠に家紋を交えて欲しいという注文を受けているため、直接手で描くのだ。
 描いては図案と見比べ、失敗があれば鑢で消し、また続きを描き――そうして一刻ほどかけて描画を終えた頃、ちょうど昼食に呼ばれた。ランゲの樹液も良い具合に煮詰まっていたので、コンロの加熱は止めておく。
 この日の昼食は、豆のサラダとキャロットスープ、鶏の照り焼きのサンドイッチだった。大変美味であった。
 ちなみに、フィーは宗教上の理由で菜食主義のため、彼女のサンドイッチには鶏ではなく人参の照り焼きが挟まっていた。
 食休みがてら少し読書をし、胃がこなれてきたところで仕事を再開する。次の工程は、彫刻作業だ。机の引き出しから数本の小刀を取り出し、下書きに沿って細かな文様を掘っていく。根気の要る作業ではあるが、私が最も好きな工程でもある。好きでなければ、装飾杖職人などやっていられない。
 無心になって淡々と掘り進めること、およそ三刻。棒鑢で角や棘を削り落とし、刷毛で木屑を取り除いたら、彫刻作業は終了である。表面を軽く水洗いして、一刻ほど屋外で自然乾燥させる。その間は休憩時間だ。
 作業机の脇に置かれた呼び鈴を鳴らすと、二階からフィーが駆け下りてきた。彼女は律儀にノックしてから扉を開ける。
「ご主人様、お呼びでしょうか?」
「ああ。少し休憩しようと思うのだが、茶を淹れてくれるかな」
「はい! すぐにお持ちしますね」
 笑顔で返事をすると、上の階へ駆け戻っていった。そんなに慌てなくても良いのだが。しかし、その足音の賑やかさは微笑ましくもある。
 卓上箒で机を軽く掃除しながら待っていると、程なくしてフィーが茶を持ってきた。トレーの上には、ティーカップが一つと菓子鉢が載っている。なるほど、今日の茶菓子は木の実入りのブランデーケーキか。
 彼女が我が家へ住み込むようになって間もない頃、茶を淹れる時は二人分用意して良いと伝えたのだが、何故かフィーは未だに私の分しか持って来ない。にもかかわらず、トレーだけ置いて出ていくわけでもなく、作業場の隅に置かれた予備の椅子に座って話し相手を務めてくれる。しかも私が茶を飲み終わると、軽く肩揉みまでしてくれるのだ。従者という立場上、気を遣っているのだろうか。だとすれば、私のほうが申し訳ない気分になるだけなのでやめて貰いたいのだが、真意を問い質しても笑顔で誤魔化されそうで、依然何も言えていない。
 女子供の扱いが不得手な私には望むべくもないものの、いずれは、もっと打ち解けたいものである。
 休憩を終えた後、私は外に干していた杖を取りに行った。茶を啜る前には濡れていた表面が、今はすっかり乾いている。ここにランゲの樹液を塗っていくのが、次の作業である。
 鍋の中で冷めた樹液は空き瓶に移し、倉庫へしまっておく。代わりに、使いかけの樹液が入った瓶を持って作業机へ戻った。
 作りかけの杖の後端に錐を刺して持ち手とし、表面に薄く樹液を塗る。少し乾かして、二度塗り。同様に、三度塗り。乾燥台に立て、埃避けとして杖の全長より大きな袋を被せておく。後は、明日までこのまま放置する。
 暗くなるまでにはまだ時間があるので、私は続けて、杖を納めるための木箱を作ることにした。同じ部屋の中にある、別の作業台――大工仕事用の大きな机へと移動し、注文書に記載された寸法を基に数枚の板を切り出す。鑢をかけて表面を滑らかにしたら、釘を打って箱型に組み上げる。ここまでは慣れたもので、すぐに作業が終わる。
 大変なのはここからだ。箱の底面積より少し大きめに、紺の天鵞絨を二枚裁断する。これらを中表にして四辺をなみ縫いで縫い合わせるのだが、裁縫というものがどうにも苦手で、無駄に時間がかかってしまう。以前、職人仲間のゲルトにそのような話をしたところ、「お前ぇ、本業でもっと細かい仕事してんだろうが」等と呆れられたが、彫刻と裁縫は全く別物なのだ。最終的には「どのみち表返すのだから、多少不格好でも良しとしよう」となる。実際、内側に隠された縫い目がどんなに酷くとも、客から指摘を受けたことはない。
 中に綿を入れてクッションとし、それを木箱に納めたら、外箱の完成である。
 ふと窓の外を見ると、日が落ちかけていた。どうしてもその日の内に仕上げねばならない仕事があるなら灯りを付けて作業を続行するが、七日後に納品予定のこの杖はあと半日もあれば仕上がってしまうため、本日の仕事はここまでとする。二階から、何やら良い匂いもしてきた。今日の夕飯はシチューか。
 
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 今日は急ぎの仕事がないと仰っていたので、そろそろご主人様も上がっていらっしゃる頃でしょうか。わたしは、シチューの味見をしながら考えました。
 肝心のお味は、お野菜がたっぷり入っているだけあって良い感じではありますが、やはりお肉の風味には慣れません。お肉が好きなご主人様には申し訳ないと思いつつも、明日の夕ご飯はお野菜だけしか使わない献立にしようと思います。たまには許していただけますよね。
 カタリーナさんに拾っていただき、ご主人様が主従契約を結んでくださってから、本当に毎日が穏やかで幸せです。それ以前の十余年が、まるで遠い昔のことのよう。願わくば、この幸せがずっと続きますように――。