黒猫雑貨店 第一幕 黒猫雑貨店 1.虹の破片

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 その店は、町の中央に位置するリュフェーシカ噴水広場から、北の大通りに入り、右手三本目の道 ―― 「カバラフ精肉店」 のある角 ―― を曲がって、暗い路地裏をしばらく行ったところにあった。
私は、手に持っていた手描きの地図を丁寧に畳んで、黒いコートの左ポケットにしまい、店の看板を見上げた。黒い木製の板が、猫の形に切り出されている。その板には、 「黒猫雑貨店」 と浮き彫りされた、金属板が取り付けてあった。
おそらく、よほど以前に建てられた建物なのだろう。石造りの外壁は、所々黒ずんでいた。小窓のない、古びた緑色のドアーには、 「営業中」 と赤いインクで書かれた板切れが下げられている。
三段ほどの小さな石段を上ると、一つ小さく深呼吸をしてから、私はドアノブに手をかけようとした。
が、不意に、ドアノブが逃げた。いや、何者かによって、ドアーが店の内に向かって開けられたのだった。
カランカラン、と、ベルの涼やかな音が鳴る。
私は、突然のことに、空を掴んだ左手を引っ込めることも忘れてしまった。
「いらっしゃいませ」
静かな声と共に店の中から現れたのは、年の頃、十歳ほどの少女だった。
かなり細身で、病気なのではと疑うほどに青白い顔をしている。ブルーとホワイトを基調とした清楚な服を着用しているので、尚更それが際立った。
頭髪は、腰までの長さの、癖のないシルバー・ブロンド。全体として儚げな印象を受けるが、その双眸からは、何物にも動じない、確固とした意思の持ち主であることが感じられる。彼女は私を店内へと通すと、後ろ手にドアーを閉めた。
入るなり、木の床が放つ、湿った匂いが私の鼻腔をくすぐった。私は店の中央へ進むと、ゆっくり周囲を見回す。
腰より下の高さには小物だんすが、それ以上の高さには棚が、隙間なく設置されている。棚の上には、年頃の少女が喜びそうな華やかな小物から、はなはだ地味な事務用品、変わった色形の日用品、果ては、ちょっとした園芸用品や工具まで、様々なものが所狭しと並べられていた。
しかし、その風景から、私は自分の探している品物を見つけ出すことができなかった。
暫時、棚の間を行ったりきたりしながら目当ての品を探していると、背中に 「何か、お探しのものがおありですか?」 という問いが投げかけられた。少女が発した、やや高めの声だった。振り返って見ると、彼女は、いつの間にかカウンターの椅子に座って、ポットのかかった薪ストーブに手をかざしていた。
私は、少女に向かって小さく頷く。
「この店で、 『虹の破片』 を売っていると聞いてきたのですが」
その言葉を聞いた少女は、にわかに目を見ひらく。
「 『虹の破片』 …… ですか」
「はい」
ふっ、と、店内が静かになった。
二人の間で、ポットがシューシューと音を立てる。
何も話しはしなかったものの、少女が私の顔から目を逸らそうとしなかったので、しばらくの間、私たちはそのまま向かい合っていた。
と、不意に、カラン、と一つ、小さくドア・ベルが鳴った。しかし、それはドアーの上部に取り付けられたものではなく、ドアーの下のほうに取り付けられた小さなドアー ―― よく、犬猫のような動物が出入りする際に使用されるものだ ―― に下げられたものだった。
特別製のドアーを開けて店内へ入ってきたのは、一匹の、小さな黒い猫だった。
その猫を見るなり、少女は 「お帰りなさい、お婆様」 と言って席を立ち、カウンターの上に置いてあった丸いクッションを、ストーブに一番近い位置まで移動した。
「外は寒かったでしょう?」
「ああ、たった今、雪が降り出したところさ」
少女の問いに、黒猫は身震いしながら答えた。
「積もる前に帰ってこられてよかったよ」
一つ伸びると、先ほどまで少女が座っていた椅子にゆっくりと歩み寄り、それを足がかりにして、カウンターの上のクッションにひょいと飛び乗った。
その奇妙な光景を、私は、ただただ眺めていた。
黒猫はクッションの上で丸くなり、ふう、と小さく溜息を吐くと、ようやく私の存在に気付いたのか、おや、と声をあげる。
「お客さんかい? 珍しいねぇ。どちらから?」
「トリチュアのマヤからきました」
私は答えた。
「マヤ? …… ああ、あのマヤかい。遠いところからよくきたねぇ」
「はい」
「お婆様、こちらの方は、虹の破片をご所望だそうです」
すかさず、少女が説明を入れる。その言葉を聞いた黒猫は、もともと大きな金の瞳をさらに大きくして、私を見た。
「 『虹の破片』 かい?」
「はい」
私は返事をした。
「虹の破片ねぇ。そんなものを、一体何に使うんだい?」
「人形の瞳に使いたいのです」
「なるほどねぇ。あんた、人形職人さんかい?」
「はい」
答えて、私は両手にはめていた、黒い皮製の手袋を外した。縁に、同じく黒色のファーが縫い取りされている手袋だ。
ここでは、両手の甲に紅く刻まれた、シルフィアイの紋章を隠す必要はないと確信したためだった。
「そうかい、そうかい。 『虹の破片』 ねぇ。あんたみたいなお客がきたのは久しぶりだよ」
楽しそうにそう言って 「よいしょ」 と起きあがると、黒猫は、大きなあくびをしながら体を伸ばした。そして、クッションを立ち、カウンターからひらりと飛び降りると、ゆっくり真正面の棚へと向かう。
その動きに合わせ、少女も素早く立ちあがると、先ほどまで自分の座っていた椅子を持って、黒猫の後を追った。
少女が、椅子を棚の前に置く。
「ありがとう、スヴェーナ」
一つ礼を言って、黒猫はその椅子を踏み台にし、目的の棚の上へとあがった。お互いに慣れているのだろうか、見事な連携だ。
黒猫の目指した棚は、アクセサリー類の並べられた棚だった。棚の縦仕切りのすぐ右側部分には、小さな指輪の入ったガラス瓶が、数本並べられている。黒猫は、その瓶の裏側へと回りこんだ。
「いつ頃から、シルフィアイに?」
大きな二つの瓶の隙間から、黒猫が、半ば怒鳴るように問いかけてきた。
その質問に、変わった植物の鉢植えをぼんやりと眺めていた私は、振り返って答える。
「五歳の春からです」
「ああ、五歳の春かい。そのくらいの年頃の男の子は、ちょうど、シルフィアイになりやすいからね。そこにいる私の孫も、あんたと同じ、シルフィアイさ」
棚の奥で、何やらカチャカチャやりながら、黒猫は言った。
私は、少女のほうを振り返る。すると彼女は、ふい、と、私から目を逸らしてしまった。
「ああ、あったあった。これだよ」
嬉しそうな声があがったかと思うと、埃をかぶった、板状の小さな物質が二つ、瓶の間から転がり出てきた。
続いて、瓶の列の終わりから、黒猫がひょっこりと顔をあらわす。
「 『虹の破片』 ねぇ。見るのも久しぶりだよ」
黒猫は二つの虹色の物質を眺めると、感慨深そうに言って小首を傾げ、小さな左前足でそれを示した。
「この大きさでいいかい?」
私は、黒猫に向かって深く頷く。
「はい。幾らお支払いすればよろしいでしょうか?」
「お代なんていらないさ。虹の破片なんて、ほとんど、ただのガラクタと同じだからねぇ」
答えて、黒猫は頭で 『虹の破片』 を私の方へと押しやった。
「ほら、持っていきなさい」
「ありがとうございます」
古びた木板上の石を手に取ると、私はそれを、コートの内ポケットにしまった。
「では、私はこれで失礼します」
感謝の気持ちを込めて一礼すると、私は踝を返した。
背中に、老女の声がかかる。
「その人形が立てるようになったら、ぜひ、見せにきておくれね」

ドアーを開けると、カランカラン、と、涼やかな音が鳴った。途端に、冷たい空気が顔に吹き付ける。
外では、雪が積もり始めていた。