【クラミノR-18パロ】クラミノ×オメガバース掌編小説集『らしくない』

つな天の世界観にオメガバース設定を持ち込んだクラミノ小説です。
内容には、ふたなり、ソフトSM、アナルプレイ、拘束、男性受け等の要素をほんのり含みます。
雰囲気は『樫の下に君の影』シリーズと大して変わりませんが、えろ特化で挿絵がわりとえろいです。

ピコ通販にて同人誌版を頒布しております。
https://picoket.jp/items/7772

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私は18歳以上です【ENTER】

表紙/中表紙/目次/同人誌版本文サンプル/裏表紙

らしくない

 

 

01 プロローグ

 
 
 それは、まさに「雷に打たれたような」衝撃だった。彼女と目が合った瞬間、脳天からつま先にかけて走った電流に圧倒され、クラウスはギルドの入り口前に突っ立ったまま、石のように固まってしまった。
 ようやく動き出せたのは、数秒後。それも、唇だけ。
 ぎこちなく息を吸い、言葉を吐き出そうとした―が。
 彼の目の前で同じく硬直していた少女は「ボンッ」と爆発音でも聞こえそうな勢いで顔を真っ赤にした後、一瞬でその場から走り去ってしまった。
 
 
 クラウスは済ませるつもりでいた用事を全て投げ出し、急ぎ踵を返す。そして自宅へ帰り着くなり、バタン、と強かに玄関扉を閉めた。そのまま扉に背を預け、痛いほどに早鐘を打つ心臓に「落ち着け」と命令する。しかし、一向に鎮まる気配はない。
(そんなはずがあるか。千に一だか万に一だか知らないが、おそろしく「低確率」なんだろう……!?)
 そうだ。そんなことが、自分の身に起きるはずはない。
 動悸がおさまってきたところで、彼は先刻の出会いを「なかったこと」にしようと決めた。ご都合主義の物語が、既に綴られ始めていたことにも気付かずに―
 

 
 

02 再会

 
 
 閃光の如き邂逅から、一週間。再会の場面は、意外にもあっさりと訪れる。
 午前の仕事中、クラウスがノック音に手を止めて自宅の扉を開ければ、そこには先日の「彼女」がちょこんと立っていた。
 前回は初対面にもかかわらず、数秒以上じっくりと見つめ合った相手である。お互いがお互いの顔を忘れているわけもなく、声に出すことはなかったものの、二人揃って「あ」の形に口を開いた。
 その後、暫時顔を向き合わせて硬直したままでいたのは、以前と同じ。しかし、今度は少女のほうが逃げなかった。一瞬で頬を赤らめはしたが、彼女は続けて「こっ……こんにちは……」と蚊の鳴くような声を絞り出した。
「えっと……高原の牧場地に引っ越してきた、ミノリといいます。……あの……今日は、ご挨拶に……」
 クラウスの眼下で、赤いバンダナを被った小さな頭が、ふるふると震えている。体の芯が熱くなるのを感じた彼はごくりと固唾を飲み、頭の中は混乱してぐちゃぐちゃなまま、しかし意識的に落ち着いた声音を降らせた。
「……そうか。噂には聞いていたが……お前が、新しく来たっていう牧場主か。オレは、クラウスだ。この町で調香師をしている。……これから、よろしくな」
「はっ……はい。よろしく、お願いします……」
 そこで限界を迎えたのか、彼女は傍目にも作り笑いと分かる固い笑顔で「……では」と短く宣い、足早に帰っていった。その背を見送りきった後で、そっと口元を抑えるクラウス。
(一体、何なんだ……?)
 
 
(一体、何なんでしょう……?)
 ミノリは火照った頬を両手で押さえ、ぶるっと肩を震わせた。口を開けば、はあ、と熱い吐息が漏れる。何故か、体の奥がムズムズした。
 彼と偶然顔を合わせるのはこれで二度目だが、二度とも、彼に出くわした直後はこのような状態で。
(確かクラウスさんは「調香師をしてる」って言ってましたよね……)
 彼からはとても良い匂いがするし、もしかすると、何かアレルギー反応を引き起こす香料でも扱っているのかもしれない。それくらいしか、この症状の原因が思い付かなかった。しかしそれでも、同じ町に住んでいる以上、何かしら対策を講じて良好な関係を築いていきたい。今後彼と対面する際は、マスクを付けてみようか―
 そんなことを考えつつ、ミノリは次に挨拶をすべき住民の家へと向かったのだった。
 
 
 
 
「最近この町に引っ越してきた『ミノリちゃん』って子、知ってる?」
 仕事を終えたクラウスが、学生時代以来の腐れ縁―マリアンと雑談を交えつつ自宅でワイングラスを傾けていると、ふと、相手がそんなことを尋ねてきた。思わずワインを噴き出しそうになるクラウスだったが、すんでのところで回避し、跳ねる鼓動を押し隠しつつ「ああ」とだけ答える。
「今日、診療所へ挨拶に来てくれたんだケド。とっても可愛い子よねぇ~」
「お前のところへも行ったのか」
「ええ。みんなのお宅を回ってたみたいよ」
「……そうか」
 それで自分の家も訪ねてきたのか―と、クラウスは密かに納得した。だとすれば、先日の邂逅を踏まえた上で何らかの目的を持って―例えば、もう一度自分と話をするために―ここを訪れたわけではなく、今日再び自分と顔を合わせたのは、彼女にとっても全くの想定外だったのだろう。クラウスは自覚しなかったが、意識の外でほんの少しがっかりした。
「初対面の印象だけど、彼女、ちっちゃくてふわふわしてて、ウサギちゃんみたいよね。あんな子が知らない町へ来て一人で牧場経営だなんて、大変よね。守ってあげたくなっちゃうわ~」
 マリアンがくねくねしながら、空中にハートマークを撒き散らす。対するクラウスは呆れた様子で、はあ、とわざとらしく嘆息した。
「……まあ、そうだな。若いのに殊勝なことだ」
「あの子も、アンタと『同じ』じゃない?」
 旧友のその言葉を聞いて、途端に眉根へ皺を寄せるクラウス。
「仮に『そう』だったとしても、だから何だという話だろう」
 突き放すような口調で言い放った彼もまた、心の内ではマリアンと同じことを考えていた。同時に「しかし自分とは違い、見るからにか弱そうな子のことだ。危ない目に遭わないよう注意して見ていてやらなければ」とも思った。
 
 
ところ変わって、夜のレストラン。その「見るからにか弱そうな子」は、さっそく危ない目に遭っていた。
「君、オメガ性でしょ? 珍しいね~」
 酔って絡んでくる観光客の男性に対し、カウンター席でペスカトーレを食べていたミノリは引き攣った笑みを浮かべつつ「そうですか」と答える。そしてすぐに視線を皿へ戻し、フォークに麺を絡めて一口頬張った。
「匂い、っていうのかな……? やっぱり、他の子とは違うんだね」
 ミノリの肩に腕を回し、無遠慮にうなじを嗅いでくる男。おそらく、彼はβ性なのだろう。ミノリは少しうんざりした表情を浮かべてパスタを飲み下すと、やんわり彼の腕を退けた。
 そこへ、これはまずいと悟ったレーガが、皿を洗う手を止めて助けに入る。
「ちょっと、お客さん。ここは『そういうお店』じゃありませんよ」
「ああん? 本人が嫌がってないんだから、別にいいじゃないか。なあ?」
 男に問われ、ミノリは小さな声で恐る恐る「嫌がってます……」と答えた。気分を害した相手は、「チッ」と舌打ちする。
「上位性の助けがあれば、大きく出れるってか? オメガのくせに」
「ほらほら、本人が嫌だって言ってるだろ、お客さん。ここではみんな平等に美味い料理を食べる権利が与えられてるんだ、人の食事の邪魔をするなよ」
 レーガがポンポンと彼の肩を叩けば、男は渋々ながらようやくミノリから体を離し、席を立った。そしてレーガをひと睨みすると、今一度舌打ちをしつつ、黙って店を出て行く。激しいドアベルの音と共に扉が閉まりきるのを確認した若い店主は、ふう、と一つ溜息を吐いてミノリに向き直り、軽く頭を下げた。
「この町へ来て早々、オレの店で嫌な思いをさせちまって、ごめんな」
「いえ、大丈夫です」
 ミノリも、苦笑で答える。そして、静かに食事を再開した。
 その様子を見たレーガはすかさず冷蔵庫からプリンの乗った器を出してくると、ペスカトーレの皿の横にコトリと置く。
「これ、サービスな。ああいう手合いの客は、珍しいほうなんだ。これに懲りずに、また食べに来てくれよ」
 ミノリは途端に元気を取り戻し、瞳をきらきらと輝かせて「もちろんです!」と答えた。
 
 

03 発情期

 
 
(……きたか)
 うららかな晩春の昼下がり。仕事机の傍に立って調香用の器具を整理していたクラウスは、突如、下半身に熱が集中して体の力が抜けるのを感じ、その場にへたり込んだ。じわりと上がる、脈拍数と体温。息苦しさから、はあ、はあ、と荒い息を吐く。
(下腹部に違和感があったから、近いとは思っていたが……)
 彼はベストの内ポケットへ手を伸ばすと、小さな瓶を取り出した。急いで蓋を開け、掌の上で軽く振れば、小粒の錠剤が数粒ほど転がり出る。水なしで飲めるその薬剤を、彼は二粒ほど摘まんで、躊躇なく飲み込んだ。
 性別由来のこの体質とも、もう二十年来の付き合いになる。発現には慣れていても、やはりその苦しさには慣れないものだった。
 五分ほど経ってようやく薬が効き始め、少し息が落ち着いてきたところで、今日は運悪く、玄関扉がノックされる。居留守を使うことに決めたクラウスは、黙ってその場に屈み込んだまま、扉の向こうに感じる人の気配が遠のくのをじっと待った。
 しかし、暫く待っても客人の去る様子はなく。代わりに、聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえてくる。
「あのー……クラウスさん? ミノリですけど……お留守ですか?」
 少し困惑した調子のその声に、クラウスはびくっと全身で反応した。それは都合良く獲物が現れたことに対する歓喜の震えであったが、本能に反して頭だけは「こんな時に限って」と苦々しい感想を打ち出した。
 何も答えず、早々に踵を返してくれることを願っていたクラウスだったが、またも意に反して、ガチャリとドアノブの回る音が。
 静かな室内に、ギィ、と木製扉の軋む音も響く。
 ほどなくして「おじゃまします……」という囁きに、その後を追う足音。
 屈み込むクラウスと、マスクで口元をしっかり覆ったミノリの目が合ったのは、それから更に少し経ってからだった。
 苦しげな家主を目にするなり、ミノリは採れたてのカブを抱えたまま「クラウスさん、どうかしましたか!?」と慌てて彼に駆け寄り―マスクを通り抜けて鼻を掠めた甘い香りに、くらりとよろめく。
「あっ……あの……?」
 発情中のオメガ性のフェロモンに中てられたミノリの体が、かあっと熱くなった。花芯は疼き、鼓動も早まるが、それが性的衝動と分からぬ彼女は辛くも持ち直す。そして、ふるふると頭を振ってマスクを外し、カブの束を床に置いた。
 

 
「えっと……大丈夫、ですか……? どこか、具合でも悪いんですか……?」
 観念したクラウスは、しかし未だ性欲と戦いながら、弱弱しく頭を振る。
「……心配ない。ただの、発情期だ。見た目はこんなだが……、オレは、オメガ性なんだ」
 そこまで言われてようやく事態を察し、ハッと息を飲むミノリ。同時に、二人を包んでいた異様な空気が淫靡なものだったことに気付き、頬を真っ赤に染め上げる。彼女は薄らと目に涙を浮かべ、あわあわと言い訳を始めた。
「あっ……あの……。勝手に入って、ごめんなさい! えっ、えっと、あの、カブ、お差し入れなんですけど。いなかったら、中に置かせてもらおうと思って……!」
「……そうか。ありがとう」
 口では礼を言ったものの、泣きたいのはクラウスのほうだった。実際、彼の瞳も潤んでいた。それでも確実に薬剤は浸透しており、体の火照りも下半身の疼きも、かなり収まってきていた。
「……はあ。悪いな、せっかく来てくれたのに」
「いっ、いえ。わたしこそ、ごめんなさい。間の悪い時におじゃましてしまって……。もう帰りますね。本当に、おじゃましました……」
 ミノリは暇を告げると、申し訳なさそうに退散していった。再び一人になったクラウスは、「はあ……」と一つ深い溜め息を吐く。
(それにしても……やはり、彼女もオメガだったのか)
 薬を飲んだ後だったとは言え、直後では漏れ出るフェロモンも相当なものだっただろう。それを受けて何ともなかったということは、間違いない。
 自身と同じく発情期を迎え、艶めかしく色香を振り撒く彼女を妄想して甘い身震いをしてしまったのは「そういう時期」だからなのだと、クラウスは誰にともなく言い訳をした。
 

 
 

04 夏の川辺

 
 
 ミノリは桟橋に座って、さらさら流れる小川に足を浸し、茹だるような暑さと、体力が尽きた後の暇な時間とをやり過ごしていた。その背中へ、不意に低い声が掛かる。
「特等席だな。オレも隣に座っていいか?」
 顔を上げて相手の姿を認めたミノリは、ふふっと笑いながら「どうぞ」と快諾する。その相手―クラウスも彼女に微笑み返し、いそいそとブーツ、靴下を脱いで下衣の裾を捲ると、言葉通り彼女の隣へ腰掛けた。
 彼女も自分と同じ希少なオメガ性だと確信して以来、一方的に親近感と同情の念を抱いたクラウスは、保護者のような感覚で、何かと彼女を構うようになっていた。おかげで、出会ってからさほど経っていないにもかかわらず、二人はすっかり打ち解けている。
 最初の頃こそ顔を合わせる度に原因不明の興奮状態に陥っていた彼らだったが、幾度も言葉を交わす内にそれも収まり。未だに双方とも出合い頭に軽い動悸を感じることはあったものの、あまり気に留めなくなっていた。
「こうしていると、子供に戻った気分になるな」
「クラウスさんは、この町の生まれですもんね。わたしは都会育ちなので、こんな風にのんびり水浴びするのが夢だったんです」
「そうか。……そうやってお前は、牧場主になるって夢も本当に叶えちまったんだから、すごいな」
 想定外に褒められ、ミノリがエヘヘとはにかむ。そんな可愛らしい表情を向けられたクラウスは衝動的に彼女に触れたくなったが、行動に移すより早く、その欲求をなかったことにした。
「……それでも助けが必要な時や危ない目に遭った時は、いつでも頼るんだぞ? こんなおじさんにできることなんぞ限られてるが、見た目だけは、多少凄味があるからな」
 冗談めかして言えば、ミノリが再び、鈴を転がすような声で笑う。
「はい。困った時は、お願いします」
 
 
 その後も他愛のない話で盛り上がり、二人が川から足を引き抜いたのは、日も傾きかけた頃だった。
「すっかり話し込んじまったな」
「あんまり楽しかったので、つい……。クラウスさんは、予定とかありませんでしたか?」
「ああ。オレも暇だったから、大丈夫だ。ミノリはこの後、家へ帰るのか?」
「いえ。レストランで早めのお夕飯を食べてから、もう少し仕事をするつもりです」
「そうか。それなら、オレも同席していいか?」
「はいっ!」
 
 
 すっかり二人の世界に入り込んでいた彼らは気付かなかったが、道すがら擦れ違って一連のやり取りを目の当たりにしたジョルジュが、後日「まだ出会って間もないはずなのに、まるで恋人のようだった」とマリアンに語ったのは、また別の話である。
 

 
 

05 誘引香

 
 
 ここ半月ほど、クラウスは辟易していた。何に対してかと言えば、これにだ。
「で? アンタたち、まだ付き合ってないの?」
 街頭で出くわすなり飛んできたマリアンの追及に、クラウスは「はあ……」とあからさまな溜息を吐く。
「だから、何度も言ってるだろう。オレとあいつは、そういう仲じゃない」
「じゃあ、どういう仲なのよ?」
「歳の離れた友人だ。これも、何度もそう答えてる」
 しかし、納得いかない様子のマリアン。彼は「へえ~?」と意味ありげに呟きつつ、依然、訝しげな視線をクラウスへ向けたままだ。
「大体、若い女の子が、こんなオッサン―しかも同じオメガ性の中年を『そういう対象』として見るわけがないだろう」
「どうかしらね~?」
 笑ってはぐらかす旧友に対し、自分で「恋愛対象になるはずがない」と言っておきながら凹んでいたクラウスは、多少苛立った。
「そもそも、オレの恋愛事情なんぞ、お前の知ったことか」
「まあ、それはそうね。ただの興味本位よ」
 でも、とマリアンは続ける。
「それだけ仲がいいんだから、付き合っちゃえばいいのに」
 クラウスは周囲を見回して誰もこちらを見ていないことを確認すると、学生よろしく、マリアンの額を手の甲でぺしっと軽く叩いた。
 
 
 
 
(……そうだ。オレとミノリは、そういう仲じゃない)
 クラウスは自分に言い聞かせるように心の内で復唱し、一人頷く。そんな彼の額には薄らと汗が滲み、心臓はドクンドクンと早鐘を打っていた。だが、それも仕方のないことだ。何しろ今の彼は薬こそ服用しているものの発情期の真っ最中であり、あまつさえ彼の家の浴室からは、「歳の離れた友人」がシャワーを浴びる扇情的な音が漏れ聞こえていたのだから。
 
 
 
 
 話は、マリアンと別れた直後に戻る。
 うんざりした顔つきで貿易ステーションを目指していたクラウスは、こちらへ向かって走ってくるミノリの姿を見つけると気分一転、高揚し―直後、目を丸くしてその場に立ち止まった。彼女もクラウスに気付くと、彼の数歩手前で立ち止まる。
「こんにちは、クラウスさん」
 満面の笑みで挨拶したミノリだったが、対するクラウスは同様の挨拶を返す前に、驚いた様子で「どうしたんだ? その格好は」と尋ねた。なぜなら、ミノリの両腕、スカートの裾、両膝から下には、生乾きの土汚れがびっしりと付着していたからだ。指摘されたミノリは、何でもない風で「ああ、これですか」と答え始める。
「さっき貿易ステーションでやわらかい土を買ったら、袋に穴があいてまして。その場で土がドバーっとこぼれてしまったので、片付けていたんです」
 エヘヘ、と苦笑する彼女。クラウスは「そうか」と相槌を打った。
「家まで、その格好で帰るのか?」
「はい。すぐに帰って着替えないと……」
 それを聞いたクラウスは顎に手をやり、「うーん」と考える素振りを見せる。
「どこか、近くにシャワーを借りられるところでもあればいいんだがな……」
 しかし、いかにこの町の住民が善良な者ばかりとは言え、オメガ性のミノリを無防備な状態で預けることができるほど信用に足る人物は少ない。それでも、真っ先に思い付く場所と言えば。
「ギルドに寄ってみたらどうだ? ベロニカさんなら、快く貸してくれるだろう」
 クラウスがそう提案してみたものの、ミノリは気乗りしない顔だ。
「でも、こんな格好でギルドに入ったら、床を汚しちゃいますよね。それは申し訳ないので……やっぱり、家まで帰ります」
 別れを告げ、帰途に着こうとするミノリ。しかしクラウスはその腕を引き、尚も引き止める。
「それなら、お前が嫌でなければ、だが……オレの家で浴びていくといい。高原まで土まみれじゃ、さすがに気持ち悪いだろう?」
「えっ……でも、そうするとクラウスさんのお家が汚れちゃいますし……」
「構わないさ。どうせ今日明日は定休で、客もない」
 そうやって押しに押され、ミノリはようやく渋々ながら、彼の提案に乗ったのだった。
 
 
 ところが、いざ軽い親切心からうら若い乙女にシャワーを提供してみれば。前述の通り、後悔したのはクラウスのほうであった。
 反響する水音、動いた際の微振動、シャンプーの香り。五感の捉える全てが性欲を刺激する。止めようと思っても、扉の向こうで晒されているであろう滑らかな肌への妄想は止まらず。ごくりと生唾を飲んだクラウスは、慌てて頭を振った。
(薬は効いている。大丈夫だ。この程度なら、問題ない)
 しかし、身体はあまり大丈夫でなかった。攻める側だろうが受け入れる側だろうが、よもやそんなことは些末事で。とにかく体を重ねて快楽を貪り、熱を解放したいという欲求が、下半身を苛み、脈拍数を上げ、体内を巡る酸素の量を減らしていく。それでも、その苦しさを言葉にして恋人でもない相手に縋ることは、理性あるヒトとして恥ずべき行為であったし、また、自らの身を亡ぼす愚かな行為であることも重々承知していた。
 それにしても、とクラウスは思う。
(今回は、発情が重すぎるな……。いつもなら、いくら「そういう状況」とは言え、ここまで苦しくはならないんだが……)
 発情はホルモンの働きによる本能的なものであるから、いつも同じ程度とは限らない。それでも、比較的規則正しい生活を送っている彼は「ホルモンバランスが崩れるようなことはしていないはずなのに」と首を捻った。
 が、普段より重い発情の理由は、意外にもすぐに解る。
「シャワー、ありがとうございました」
 ガチャリと扉を開け、脱衣所からミノリが現れた。土で汚れきったタイツとエプロンは脱いだまま身に着けておらず、スカートとブーツの間からは、素の脚が覗いている。洗い立ての肌は潤いを帯びて艶めいており、そこから立ち上る香りが、クラウスの鼻腔をくすぐった。
 その香りに、彼は「ああ、これのせいか」と一人納得する。
 石鹸の香料に混じって匂い立つ、甘い芳香。彼女特有の体臭なのだろう、頭の芯から蕩かすような、蜂蜜のような甘さと若葉のような爽やかさ、そして夜開く花のような淫靡さを併せ持った、複雑な香りだった。
 温められた清浄な肌の発する香気を、発情期を迎えて鋭敏になっている嗅覚が捉えて初めて気付いたが、きっと初対面から既にこの香りに反応し、魅了されていたのだろう。
 もっと近くで嗅ぎたい。その邪魔な布を剥ぎ取って、滑らかな肌と幽香に包まれたい―そんな欲望が、脳を支配していく。
「あの……クラウスさん?」
 香りに酔っていたクラウスは名前を呼ばれ、ハッと我に返った。
「あ……ああ。どういたしまして」
 同時に、如何わしい気持ちが一瞬で鳴りを潜める。
「……スカートの裾は、どうにもならないな。だが、全身汚れたままよりはマシだろう」
「はい。おかげさまで、さっぱりしました。まだ服は土だらけなので、すぐにお暇しますね」
「ああ。また後で、ゆっくりお茶でも飲みに来るといい」
 隣人の下心になど全く気付かぬ無邪気な子兎を、クラウスは普段通り、紳士の顔で見送った。
 

 
 

06 痕と牙(前)

 
 
 冬も深まり、雪の精が山も町も一面真っ白に染め上げた頃。平和な樫の木タウンで、その騒動は突如として起こった。
「痛っ……!!」
 白日の貿易ステーションの一角に響いたのは、ミノリの悲痛な叫び声。不意にうなじが激痛に襲われ、彼女は後ろ首を抑えてその場にしゃがみ込んだ。あまりに突然の出来事に、ぽかんと口を開けて現場を眺める周囲の人々。そして、山小屋の国の露店主マリエル。
「みっ、ミノリさん!? どうかした!?」
 慌てて大声で問いかけ、彼女が状況を確認しようとミノリの周辺を一目すれば、不審な人物はすぐに見つかった。
 ミノリから数歩離れた地点に、唇に付着した血液を手の甲で拭う男が。見知らぬ顔であるからして、おそらく観光客なのだろう。
「あの人!! あの人が、噛んだ!?」
 マリエルに指先を向けられた男は、じり、と一歩後ずさって、ニヤリと笑った。
「……そうだ。これで君と俺は、つがいになった!」
 高らかな宣言を聞き、数秒置いてその意味を理解するマリエル。彼女の顔が、さあっと青くなる。同じく現場近くにいた数人も、同様の反応を示した。
 ざわつく山小屋の国の露店周辺へ、徐々に人が集まり始める。別の露店で買い物をしていたミステルもそれに気付き、何事かと様子を見に現れた。
「どうしたんです?」
 彼が人だかりの外辺にいた一人に尋ねると「女の子が首を噛まれたらしい」という答えが返ってくる。面倒事に関わるのは本意でなかったものの、現状から、事態の収集にあたる人間がいないのだろうと推察したミステルは、「ちょっと通してください」と人混みの中へ割り入った。
 輪の中心のミノリは、怪我が相当痛むのか、未だに患部を抑えたままうずくまっている。
 おろおろするマリエルに、その場を動かない加害者、そして、この状況をどうしたら良いものかわからず、ざわつくだけの観光客。ミステルは自分を落ち着かせるために「ふう」と一つ溜息を吐くと、まずはミノリに語りかける。
「ミノリさん。返事はできますか?」
 すると、「はい」と蚊の鳴くような声が返ってきた。ひとまず安堵したミステルは、周囲の人だかりに向けて指示を飛ばす。
「どなたかギルドへ行って、ギルドマスターのベロニカさんを呼んできてください。貿易ステーションでトラブルがあった、と」
 すると、すぐに数人が貿易ステーションの出口へ向かって駆け出して行った。ミステルは次に、マリエルへ向き直る。
「マリエルさん、怪我の応急処置ができる道具はありますか?」
「えっ……えっと! 救急箱なら、ある!」
「それを出してください。ミノリさん、手を退けて傷を見せて貰っても良いですか?」
 ここへきてようやく、加害者の男が二言目を発した。
「おい、お前。余計なことをするな!」
 罵声を発するだけであるところを見ると、どうやら凶器等は所持していないらしい。そう判断したミステルは、なるべく相手を刺激しないよう、静かに会話を試みる。
「止血と消毒をするだけですよ。あなたは、ミノリさんのお知り合いですか?」
「そうだ」
「そうなんですか? ミノリさん」
 首を動かせず、視線を地面に落したまま「はい」と肯定するミノリ。ミステルはそれだけ聞いて、早くも「痴情のもつれといったところか」と予想し、少々うんざりした表情を浮かべた。
「では、ベロニカさんが到着したら、お二人でゆっくり話し合ってください。ボクは怪我の手当てだけしたら、すぐに退散しますから」
 そう言って加害者の動きを止めつつ、ミステルは意図的に緩慢な所作で、ミノリの首に滲む血を消毒液の染み込んだ清浄綿で拭き取り、歯型にガーゼを当て、首に包帯を巻いた。すると、ちょうど手当てが終わる頃、息を切らしたベロニカが現場へ到着する。時間配分は完璧だった。
「ミステルさん、ありがとうございます……」
 ようやく顔を上げることができ、心底申し訳なさそうに礼を言ったミノリの肩を、手当てした青年は無言で、ポン、と一つ叩いた。
 
 
 
 
 事件のあらましは、こうだ。ミノリが樫の木タウンへ引っ越してくる前に住んでいた土地の隣人が、ミノリに対して一方的な恋心を抱いていた。しかし、それに気付かぬミノリは、彼に軽い別れの挨拶をしただけで引っ越してしまった。ミノリに執着していた彼は転居先を突き止めると、この町の貿易ステーションを訪れ、運良くその場でミノリを発見した。アルファ性の男は、無理矢理にでも彼女を自分のものとするため、不意を突いてその後ろ首に噛み付いた、とのことだった。
 ギルドの二階でなされた話し合いは三時間にわたったが、後日弁護士を挟み、加害者の男がミノリに相応の示談金を支払う、という内容で一応の決着を見せた。そこそこの社会的地位にあった相手の男は、ミノリが警察に被害届を出さないことを条件に、二度と彼女の前に姿を現さないと誓った。
 
 男が立ち去ってしばらくしてから、ミノリもベロニカに重ね重ね礼を言った上で、ギルドの一階へ降りていく。すると、待合所で待機していた別の長身男性―クラウスが、真っ青な顔で駆け寄ってきた。
 ミノリの前に立った彼は、何か言いたげに口を開く。が、無言のまま一旦視線を外した。ミノリも、黙って彼の言葉を待つ。
 クラウスがようやく声を発したのは、およそ十秒も経過した後だった。
「……その……、怪我は、大丈夫なのか?」
「はい」
 それだけ答えつつ、こくんと頷くミノリ。クラウスは「そうか」と相槌を打って、再び視線を外す。
 そして、また十秒ほどが経った。
「……あー……、話はついたのか?」
「はい」
 ミノリは、またそれだけ答えつつ、こくんと頷く。クラウスもまた「そうか」と相槌を打って、視線を外した。
 二人が、そんな不毛なやり取りを繰り返しているところへ。
「ちょっとアンタたち、いい加減になさいよ!」
 会話に割り込んできたのは、定時で仕事を終えたばかりの医師、マリアンだった。
「こんな公共の場で、ンな辛気臭い顔しくさってからに。他の利用者の邪魔でしょ? クラウスの家にでも行って、ゆっくり話し合いなさいよ。ハイハイ、出てった出てった!」
 そう言って彼は、二人を出口へ向けて押し遣る。それは、全く進展しない友人たちへの助け船でもあった。
「そろそろ、お互いに腹割ったほうがいいんじゃない?」
 

 
 

07 痕と牙(後)

 
 
 夕闇が迫る中、無言で町を歩くクラウスとミノリ。
 貿易相手国が増えて多少賑やかになったとは言え、まだまだ無名の町である。通りの往来はまばらで、山へ帰るカラスたちの鳴き声が、物寂しく響いている。
 雪で薄ら白く染まる石畳を踏みつつ、気まずさから十歩分の距離を置いて歩く二人の背中へ、不意に声がかかった。
「ミノリ」
 つい先刻聞いたばかりの声に名前を呼ばれたミノリは、立ち止まって振り返る。そこには、件の男性が立っていた。
 ミノリは「二度と顔を見せないと約束したばかりなのに」と、眉間に皺を寄せる。相手も馬鹿ではないので、彼女の心中を察して、あせあせと言い訳を始めた。
「その……、二度と会わないとは誓ったが、最後に、もう一度謝りたくて。本当に、申し訳ないことをした」
 深々と頭を下げる相手を前に、はあ、と溜め息を吐くミノリ。
「もう、いいです。お互い、忘れましょう?」
 そんな二人のやり取りを間近で目にしたクラウスの額に、冷たい汗が浮かぶ。彼はごくりと唾を飲むと、ミノリの傍へ歩み寄った。
「……彼が、お前の首を噛んだ相手か?」
 低い声で尋ねれば、ミノリが少し困った顔で、こくりと頷く。「そうか」と返したクラウスは自分より背丈の低い相手を見下し、夕日を反射して金色に光る、鋭い双眸を向けた。
「つまり、お前が消えれば、ミノリとのつがい関係は解除されるわけか」
 その迫力に気圧され、じり、と後ずさるアルファの男。
「……なんだ? お前は。ミノリの恋人か?」
 クラウスは答えない。代わりに、握りしめた両拳に力を入れた。それに気付いたミノリは、慌てて彼のコートの袖を引く。
「あっ……あの。クラウスさん、大丈夫です! わたしは……」
 言いかけたところで、それを遮るように、相手の男が突如笑い出した。
「ハハッ。なんだお前、そんなナリをしているが、発情中のオメガか。練乳みたいに甘ったるいにおいがするぞ?」
 馬鹿にした口調で、彼は宣う。そして態度を一変させ、身構えてクラウスを挑発し始めた。
「かかってこいよ。オメガ風情が、アルファ性に勝てるわけがないだろう?」
「ああ、そうだな。おかげで、仮に『事故』があったとしても、正当防衛を主張できる」
 全く焦る素振りを見せないクラウスと対峙した男は、体格差もあって多少不安になってきたのか、軽く歯軋りする。
「……チッ。後悔するぞ」
 無言で相手を睨み付けたまま微動だにせず、それ以上、何も言わないクラウス。ミノリはそんな彼の前に素早く立ち塞がると、クラウスの動きを止めるように、ぴったりと体を押し付けた。
「あの、ケンカはだめですよ? ね、クラウスも。早く、クラウスのお家に行きましょう?」
 しかし、魅力的な雌を奪い合う狼たちの暴走は止まらない。クラウスはミノリの肩を持って、やんわりと自身の後ろへ追い遣った。それを好機とばかりに殴りかかる、アルファ性の男。
 クラウスは相手の拳を難なく受け止め、彼のみぞおちへ自身の拳を叩きこもうとした。が、アルファ性ゆえ先天的に反射神経の良い相手は、それを見切って避ける。力は互角だった。
 始まってしまった修羅場を前にして、ミノリはあわあわするばかり―と思いきや、ふと冷静になる。頭がすっきりしてくると、今度は徐々に腹が立ってきた。そして、苛立ち紛れに怒鳴る。
「ケンカはやめてって、言ったじゃないですか!」
 しかし、熱くなっている男たちが聞くはずもなく。ミノリは尚も殴り合いを続ける彼らに、くるりと背を向けた。
―そして。
 手近な所に立っていた街灯に両腕を回し、力任せに引き抜いた。
 
 軽い地響きとともに降って湧いた「バリバリッ」という轟音。
 お互いがお互いしか見えなくなっていたクラウスとアルファ性の男も、さすがに何事かと驚いて、音のしたほうを振り向く。と、視線の先では、引き抜いた街灯を抱えたミノリが、怒り心頭で仁王立ちしていた。
「二人とも、いい加減にしてくださいっ! せっかく話し合いで解決したのに、なんでケンカになっちゃうんですか!?」
 そう一喝した彼女の、威嚇する獣よろしく剥き出しにされた口元には、アルファ性の人間だけが持つ立派な牙歯が光っていた。
 
 
 後日、再びベロニカに頭を下げ、きちんと自分の手で街灯を建て直したことは言うまでもない。
 

 
 

08 越える夜

 
 
「……ごめんなさい。騙すつもりは、なかったんです」
 ソファに腰かけたミノリは、深々と頭を下げた。彼女の向かいに座るクラウスも、申し訳なさげな表情で「いや、」と返す。
「元々、オレが勝手にお前をオメガ性だと思い込んでいたんだ。ミノリが謝ることじゃない」
 そう言って、彼は紅茶を一口啜った。
「……だが、どうして黙っていたんだ? アルファ性と間違えられて喜ぶオメガはいたとしても、アルファ性がオメガ性と間違えられたら、普通、怒りそうなものだが……」
 痛いところを突いたその質問に、ミノリはそろりと視線を逸らす。きゅっと唇を結んで暫く黙っていたが、やがて意を決したように語り出した。
「……その……、わたしって、どう見てもアルファ性には見えないでしょう……? 性格も、ぜんぜんアルファっぽくないですし……。『アルファらしくない』って言われるより、『オメガなんだ』って思われてるほうが、いいかなって……思っちゃって……ごめんなさい……」
 オメガ性に対して失礼なことを言っているのは重々自覚していたので、末尾にしっかりと、弱弱しい謝罪を入れる。しかし優しいクラウスは気分を害する素振りも呆れた素振りも見せず、「なるほどな」と納得した様子で頷いた。
「気持ちは解らなくもない。オレもこの体格のおかげでよくアルファ性と間違われるが、勝手に勘違いした輩が『アルファのくせに牙歯もないのか』などと突っかかってくることがあるからな。……アルファはアルファで、いろいろと苦労があるんだな」
 ミノリは言葉を返す代わりに、黙って茶菓子のクッキーを齧った。
 室内に、焼き菓子を齧るサクサク音だけが響く。
 ふう、と小さく溜め息を吐くクラウス。彼は僅かに頬を赤らめ、片手で口元を隠した。静かすぎて、心臓の音が相手に伝わってしまいそうな気がしたからだ。
 ほんの少し顔を上げて彼の顔を盗み見たミノリも、ぽっと赤くなった。胸のドキドキを紛らわそうと、必死で話題を探す。
「クラウスさんがアルファ性で、わたしがオメガ性だったら、ぴったりだったんですけどね」
 その言葉を聞いて、まさに同じ事を考えていたクラウスは、ギクッとする。気まずい気持ちになったのは、「オレがアルファでミノリがオメガなら、自分にも『チャンス』があったかもしれないのに」などと、それはそれで失礼なことを考えていたためだ。彼は内省した。
 再び、沈黙が屋内を支配する。
 窓の外は、既に真っ暗闇。ちょうど夕飯時になっていた。
「……ミノリ、お腹は空いてないか? こんな時間になっちまったし、有り合わせで良ければ、何か作るが……」
「えっ!? ……あっ、じゃあ、お願いします」
 
 
 変にお互いを意識しながらも、他愛ない会話を交えつつ夕食を終えた二人の間に、またも気まずい沈黙が訪れる。
 何となく一人になりたくなくて暇を告げられないミノリと、彼女を帰したくなくて「そろそろ帰ったほうがいい」と言い出せないクラウス。間を持たせるためにレコードをかけ、音楽鑑賞する振りなどしつつ無言の時間をやり過ごせば、時計の針は九時半を指し示した。
「……ミノリ、すっかり遅くなっちまったし、ここで風呂に入って行ったらどうだ? そうすれば、あとは帰って寝るだけだろう?」
 とうとう、クラウスが僅かに上擦った声でそんな提案をする始末。真っ赤に上気して「そうさせてもらいます」と頷くほうも頷くほうだ。双方とも未だ迷いつつも、既に「そんな予感」はしていた。
 ミノリが風呂から上がると、入れ違いにクラウスも湯浴みに行く。「帰れ」と言われなかったミノリは当然のように帰らず、その間、大人しくレコードを聴いて待っていた。
 しばらくすると脱衣所から、出し抜けに「ガタンッ」と大きな物音が聞こえてくる。
 突如響いたその音にビクッとした後、ミノリは恐る恐る脱衣所の扉に近付き、コンコン、と控えめにノックした。
「……クラウスさん? どうかしました?」
 再び、ガタッ、という物音。そして、弱弱しい声が返る。
「……大丈夫だ」
 全く大丈夫なように聞こえなかった。ミノリは少し迷ったが、「失礼します……」と声を掛けてから、そっと扉を開ける。
 そこには下着一枚で床に膝を突き、下半身を抑えてうずくまるクラウスの姿があった。彼は僅かに首を上げて、気まずそうにミノリの顔を見上げながら、はあ、と苦しげな溜息を吐く。
 一瞬「どこか具合でも悪いのだろうか」などと考えたミノリだったが、すぐにその理由に思い至り、ぼんっ、と上気した。
「あっ……! あの……、お薬、持ってきますね! どこにありますか?」
 裏返った声でそう問うが、しかしクラウスは、静かに首を横に振る。そして、黙ったまま立ち上がった。彼が一歩近付けば、濃厚な甘い香りがミノリの鼻を衝く。途端に動悸が激しくなり、頭がクラッとした。
「……ミノリ」
 艶めいた低い声で名前を呼ばれ、ミノリの身体からふわりと力が抜ける。きゅうん、と下半身が切なくなった。まずい、と思った時には、既に彼の腕の中で。
「……あ……」
 風呂上りの肌の香気に脳を犯され、ミノリが細やかな声を漏らす。クラウスはそんな彼女の首にかかった髪を肩へ退け、後ろ首にくっきりと赤黒く浮かび上がる歯型を、子犬のようにぺろりと舐めた。
「っ……!!」
 声にならない声を上げ、びくん、と肩を跳ねさせるミノリ。その耳元に、苦しげな吐息がかかる。
「……あ……あの、まって……」
 聞こえているのかいないのか、クラウスは止まることなく、今度はその傷跡を自身の唇で覆うと、音も立てずに強く吸い上げた。患部に、鋭い痛みが走る。ミノリは堪らず「痛っ……!」と声を上げた。
 彼が唇を離すと、そこには、歯型を上書きするように付けられたキスマークが。自身が刻んだその痕を、クラウスは愛おしげに、再び一舐めした。
「……っ、やめて……」
 ふるふる震えながら、ミノリが涙声で懇願する。クラウスはようやく彼女から体を離すと、潤んだその瞳を、苦い表情で覗き込んだ。
「……すまない。……少し、一人にしてくれないか?」
 熱を帯びた息を吐きつつ、彼はミノリを解放し、背を向ける。しかしミノリには、彼の要求を聞き入れることができなかった。なぜなら、支えを失った彼女は壁に寄りかかって、へたへたとその場に座り込んでしまったからだ。クラウスがぎょっとして振り返れば、本当に恥ずかしいのか、はたまた、ただの強がりか、彼女は「エヘヘ」とはにかんで見せた。
「……動けません……からだが、熱くて……ふわふわして……」
 揺れる声でそう言って、はあ、と溜め息を吐く。
「こんなの、初めてで……どうすれば、いいですか……?」
 ミノリのチョコレート色の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ出す。クラウスは申し訳なさそうに彼女を見下ろすと、再び屈み込んで、透明なその液体を指先で拭った。
「オレも同じだ。……ミノリは、どうしたい?」
「……わかりません」
「抱きしめても、いいか?」
「……はい」
 小さな身体に堅い腕が回され、ふわりと抱き寄せられる。互いに発し合っていた別種の甘い香りが混じり合い、更に濃密なものに変化した。
「キスは? ……嫌か?」
「い……いえ」
 ミノリが首を横に振れば、今度はその唇がそっと塞がれる。なし崩し的に舌も捻じ込まれ、クチュッ、クチュッと淫靡な音を立てて、二人のそれは淫らに絡まり合った。
 

 
 長い長いキスの後、クラウスが名残惜しげに顔を離せば、ミノリもとろんと蕩けた表情をして、物欲しげな瞳で彼を見つめ返す。一般的なアルファとオメガの行為らしからぬ現状に、クラウスは思わず、フッと笑いを漏らした。
「もし、オレを襲いたければ、襲ってもいいんだぞ?」
 問われても、少し困ったように眉を下げ、黙って小首を傾げるだけのミノリ。クラウスは、そんな彼女の頬に一つ小さなキスを施すと、横抱きに抱え上げ、ベッドまで運んでいった。
 
 
 
 
 渇望するものだけを本能のままに貪りたい衝動をぐっと抑え、クラウスはミノリの衣服を丁寧に剥ぎ取っていく。力なくベッドに寝転んだままの相手はなすがまま、文句を言うこともなく、黙って彼の手際に身を委ねていた。
 時折、滑らかな指先でそっと彼の腕に触れては、肌の感触を確かめるように撫で下ろす。その都度、クラウスの背筋は甘い刺激にぞくりと震えた。愛撫を返せば、もどかしげに腰を揺らす様が彼の発情を促す。
 早く、早く一つになりたい―その一心で、クラウスはミノリの服を脱がし続けた。
 最後に一枚残った女性用ボクサーパンツに手をかけると、ミノリが相手の手首を軽く掴み、初めて抵抗する。「どうした?」と問われた彼女は、元々赤らんでいた頬を、更に真っ赤に染め上げた。
「その……、わたしの、なんですけど……。普通のアルファの人より、すごく小さいみたい、で……」
 ごにょごにょとなされた説明に、クラウスは「なんだ、そんなことか」と、再びククッと笑ってしまう。すると、気分を害したミノリが「笑い事じゃないです」と口を尖らせた。
「だって……、だから……、もし、クラウスさんが『後ろがいい』って言うなら……」
 そこまで言って恥ずかしさに耐えられなくなったミノリは、両手で顔を覆ってしまう。クラウスは「なんだ、何も知らないわけじゃないのか」と少し安堵し、笑いながら「オレは、どっちでもいけるぞ?」と応えた。そして、彼女の下着を擦り下す。
 確かに、挿入が全く不可能というほどではないものの、どちらかと言えば小振りな大きさだった。なるほど、これはコンプレックスを抱くわけだと、「オメガ性の割には大きいモノ」を持つクラウスは苦笑する。
「お互い、性別のおかげで苦労するな」
 ミノリは、何も答えない。
 構わず、クラウスは彼女の秘所に顔を近づけると、彼女のコンプレックスの対象を、愛おしげに口に含んだ。「ぁんっ」と小さく嬌声を上げて、ミノリの体が跳ねる。小さく勃起したそれを舌先で舐め上げられ、転がされ、軽く吸い上げられる度、彼女は切なげに喘ぎ、もじもじと下半身を動かした。
「あっ……あの、出ちゃう……から……!」
 切羽詰まった風で告げられ、一旦顔を離すクラウス。彼は「はあ……」と湿った息を吐き、口元を拭いつつ、ニヤリと口角を上げる。
「オレは、別に構わないが……お前は、どっちのほうが好きなんだ?」
 相手の経験値の高さを感じ取ったミノリは畏怖し、額にじわりと汗を滲ませた。
「えっ……えっと……、……わかりません」
「なら、両方試してみるか」
 クラウスはミノリの脚を更に開かせると、先端に透明な液体が滲む突起物を無視し、更にその下の窪みへ、ゆっくりと中指を差し入れる。既に潤っていたそこは、すんなりと彼の指を受け入れた。
 一本だけの時は体を堅くするばかりで何の反応も示さなかったミノリだが、続いて二本、三本と指を増やしていくと、口端から可愛らしい声を漏らす。その音と、彼女の肌から発せられる麻薬のような芳香とを楽しみつつ、クラウスは自身の指で彼女の中を優しく掻き回した。
「あっ……あ……!」
 声を上げ、身じろぐミノリ。クラウスは行為を続けながら前屈みになり、彼女の耳元へ口を寄せる。よりいっそう強く立ち上るフェロモンが、彼の鋤鼻器から入り込んで思考力を奪っていった。
「もう、いいよな……?」
 微笑みながら、クラウスは荒い息を吐く。ミノリの中から指を引き抜くと、彼はベッドサイドから避妊具を取って来て、自身に装着した。その先端を彼女の入り口にピタリとあてがい、一息に刺し貫く。餌食を前にした発情期の雄に、相手を慮れるほどの余裕は残っていなかった。
「っぅ……!!」
 下半身に走った激痛に、ミノリが一つ、苦しげに呻く。彼女は暫時息を止めた後、深く吐くと、ふぅ、ふぅ、と小刻みに肩で呼吸をした。
「……すまない」
 クラウスはミノリの首筋に唇を落としつつ小さく謝るが、言葉とは裏腹に、彼女を休ませることはせず、ゆるゆると腰を振り始める。内部に走る鈍い痛みに、ミノリは顔を歪めた。
「い……いたっ……あっ……あ……!」
 だが、それは徐々に甘みを帯びた声に変わっていく。
「っ……あ……んっ……ぅ……」
 すっかり嬌声に変わる頃には、ベッドの軋む音や、「パンッ、パンッ」という律動的な音が室内に響き渡るほど、クラウスの腰の動きは激しさを増していた。
 そのまま彼は一気に登り詰め、ミノリの中で精を放つ。
 途端に、一時的ではあるが性欲から解放された満足感が、じわりと広がった。全力疾走した直後のように肩を上下させながら、くたっと身体の力を抜き、ミノリに覆い被さる。そして、再び「……ごめん」と短く謝罪した。
 
 
 ところが、この程度で収まる発情ではなかった。
 相手は、およそ一年の間、求め続けた女性である。その理性を狂わす香りに包まれて一時休息したクラウスは、再び体躯に熱を取り戻した。ふう、と息を吐いて上体を起こすと、ぐったり仰向けに寝転がるミノリの顔を上から見下ろす。
「それじゃ、続きをしようか」
 ぱちぱちと目を瞬かせるミノリ。
「えっ……あの、もう、終わりじゃ……?」
「ない」
 クラウスはそう答え、ころんとミノリを俯せに寝転がした。
「あっ、あの……できれば、もうちょっと休ませて……」
 しかし相手は聞く耳を持たず、黙って彼女の腰を持ち上げ、尻を突き出させる。そして、言葉通り「続き」を始めた。
「んんっ……!!」
 またも秘所に指を捻じ込まれ―それも、一気に四本も―ミノリは口を閉じたまま、くぐもった声を上げた。決して乱暴ではなかったものの、彼の攻めは無遠慮だった。太い指先が、ミノリの意思などお構いなしに、疲れた身体に快楽を刻み込んでいく。そして指だけで、あっという間に二度目の絶頂へと導いてしまった。
「あ……あぁ……っ!!」
 一度目より、高い声が響く。クラウスは満足げに息を吐くと、彼女の背中を包み込むように抱きつつ耳たぶへ唇を寄せた。
「……好きだよ、ミノリ」
 蠱惑的に囁かれた言葉と声、そして彼の髪から香る甘い芳香に、ミノリの脳が甘く痺れる。下半身はよりいっそう切なさを増し、初めて「この人が欲しい」と思った。
「……わたし、も……」
 熱に浮かされるまま囁けば、クラウスがミノリの後ろ首を甘噛みする。ピリリと痛みが走ったが、今度はその痛みを心地良く感じた。
「っあ……ん」
 堪らず、声を漏らす。避妊具を付け直したクラウスは、今まさに花開き始めた彼女の花弁の隙間へ、するりと侵入した。そして再び荒々しく、しかし敏感になった肉壁を的確に刺激しつつ、腰を振る。
「ああぁ……! ふっ……っあ……! あぁ……あ!」
 よもや悲鳴にも似たその喘ぎ声に興奮しつつ、クラウスは更に鳴かせてやろうと、ミノリの突起物を指先で摘まみ、きゅっと捻った。
「いっ……ああぁあっ……!!」
 指を三本に増やし、今度は優しく上下に扱く。
「いやっ……あ……あぁあ……! も……っ、やめっ……ああぁぁっっ!!」
 髪を振り乱し、イヤイヤと首を横に振るミノリ。そんな悲痛な叫びも完全に無視し、クラウスが一方的に彼女を追い詰めていくと、とうとう彼女は「中で」三度目の絶頂を迎えた。しかしクラウスは、どちらを責める動きも止めない。
「や……ぁん……、も……許して……っあ……」
 顔は見えないが泣き出してしまったようで、ミノリは、ずっ、と鼻啜りを挟みつつ懇願する。
「気持ちいいか?」
 決して自身も余裕とは言えないクラウスが訪ねるが、ミノリは黙って首を横に振った。
「……そうか。それじゃ、もっと快くしてやらないとな」
「や……やだっ……あぁ……も……やめ……ああぁっ……!」
 すると、今度は彼女の突起物から、白い液体が少量ながら迸り出た。ぶるっと身を震わせ、「あぁ……あ……」と力ない声が口端から漏れる。徐々に叫ぶ力をも削られているようだった。
 クラウスは、追って二度目の高みに到達したことで、ようやく動きを止める。ミノリの中から分身を引き抜き、彼女の身体を解放してやった。
 

 
 
 
 桜色に色付いた身体から、愛液に濡れて淫靡に変化した香気が立ち上る。しどけない姿で胸を上下させつつ「はあ、はあ」と浅い呼吸を繰り返す様を、クラウスは堪らなく可愛らしく、愛おしく感じた。
「……好きだ」
 乱れた髪をそっと梳きながら、クラウスが呟く。返事は返ってこない。それでも、構わなかった。
「ミノリ……他の誰にも渡したくない」
 視線は虚ろでも一応聞いているのか、こくんと頷くミノリ。彼女は手近なところにあったクラウスの掌へ、そろりと手を伸ばし、骨ばった人差し指を赤ん坊のようにきゅっと握る。
 クラウスもごろんと横になり、彼女に体を添わせた。
 見つめ合い、彼が微笑みかけると、ミノリは耳まで真っ赤になって、厚い胸板に顔を押し付ける。そして、すぅー、と深く息を吸い、深く吐き出した。
「……いいにおい……」
 ぽつりと囁かれた言葉に、クラウスは彼女の頭を、無言でポンポンと叩く。
(お前からも、気が狂いそうなほど甘い香りがするよ)
 心の内で、そう答えた。そして、未だ彼女のフェロモンに酔ってぼんやりした頭のまま、欲求に任せ、細い首筋に何度目かの甘噛みを仕掛ける。
 すると意外にも、ミノリが気だるげに顔を上げ、僅かに上半身を起こして、仕返しとばかりにクラウスの首元へ軽く噛み付いた。背筋にぞくりと走る、快感の波。クラウスは、ごくりと生唾を飲む。
「……もっと、強く噛んでくれてもいいんだぞ?」
 掠れた声で言ってみると、ミノリは驚いた様子で、眠そうな目を見開く。
「あの……それって……」
 戸惑いを隠さない彼女に、クラウスは優しく微笑んで見せた。
「冗談だ。……いや、本音ではあるんだが……、そこまでは要求しない」
 こうして体を重ねられただけで十分だと、彼はミノリの右手をとって、中指に軽くキスする。
 しかし、それが強がりであることは、ミノリにも解った。なぜなら、彼女も同じ気持ちでいたからだ。
 ミノリは今一度身を乗り出すと、先ほどより強く―ただし、牙は穿たずに―クラウスのうなじを噛んでみる。顔を上げ、彼の瞳を覗き込み、切なげな表情で小首を傾げて、相手の反応を待った。
 今度は、クラウスが目を丸くする番だった。
「……いいのか?」
 黙って、こくんと頷くミノリ。
「本当に? 一生のことなんだぞ?」
「……はい。だって……」
 彼女はそこで一旦言葉を切り、かあっと赤くなった。そして、すぐにこう続ける。
「もし、つがいになったら……ずっと、今までみたいに構ってくれるんですよね……?」
 しかしクラウスは、フフッと笑いながら「いや、」とそれを否定した。
「『今まで以上に』だな」
 ミノリは心底嬉しそうに微笑むと、申し訳なさげに眉尻を下げた後、小さく息を吸ってから、クラウスの後ろ首に白い牙を立てた。
 

 
 

09 つがい

 
 
 クラウスは、カーテンの隙間から差し込んだ朝日の眩しさで目を覚ました。
 うーん、と唸りつつようやっと起こした上体は、限りなく重い。体中に疲労が残っているようだ。間抜けにも「何故だろう」などと考えている内に、徐々に頭が覚醒してくる。そして、ハッと思い出した。
(そうだ、ミノリは……!?)
 ベッドの上を見回しても、そこに彼女の姿はない。ならば隣室か、とそちらへ目を向けても見当たらず、洗面所や浴室を使っている気配もなかった。呆気にとられるクラウス。
(まさか、昨日の出来事が全て夢だった、なんてことは……)
 しかし、すぐに「それはないか」と苦笑する。いつもと違って裸で目覚めた上、シーツには彼女の移り香がしっかりと残っていたからだ。
 そして、もう一つ思い出したことがあった。
 彼は急いでベッドから降り、洗面所へ向かうと、鏡で自身の背中を確認する。そこには、小さな歯形がくっきりと刻まれていた。クラウスの口元が、思わず緩む。
 本来ならあと2~3日は続いているはずの発情も全く無く、快適そのものだった。
 シャワーを浴びて着替え、ベッドシーツを洗濯機へ放り込み、窓を開けてから注意深く屋内を見回せば、玄関扉脇の電話台の上に、ミノリの残したメモを見つける。牧場仕事があるため陽が昇る前に帰る旨と、夕方頃また訪問する旨が、簡潔に書かれていた。浮かれきったクラウスは思わずそのメモに口付けしそうになったが、誰も見ていないとは言え恥ずかしくなり、やめておいた。
 
 
 
 
 その頃。ミノリは日課のひと仕事を終え、自身の牧場のベンチで、しばしくつろいでいるところだった。足元では小型犬と大型犬が、仲良くじゃれ合っている。微笑ましげにそれをひとしきり眺めた後、ミノリは「うーん」と大きく伸びをしようとして、組んだ両掌を空中に突き出した。瞬間、「いたた……」と呟きながら、包帯が巻かれたうなじをさする。
 マリアンの了見では、歯形が消え、痛みが完全になくなるまでには、およそひと月ほどかかるだろうとのことだった。また牙歯による傷は、一生、痕が残る可能性が高いらしい。ミノリ自身はそのことをあまり気に病んでいなかったが、昨日、特別な関係を結んだばかりのパートナー―クラウスがそれを聞いたら、ショックを受けるに違いない。ミノリは、彼の親友でもある医師から、いずれそれとなく伝えてくれるよう頼んでおこうと決めた。
(それにしても、『つがい』かあ……)
 自宅に帰って以後、あまりにいつも通りの日常を過ごしているおかげか、何やら実感が沸かない。昨日昼間の騒動からの一連の出来事が、まるで夢であったかのようだ。
 義務教育で習う保健体育の知識によると、つがいができたアルファ性に起こる変化は「つがい以外のオメガ性の発情に誘引されにくくなる」というだけで、他に何の身体的変化もないそうだから、そう思うのも無理のないことなのだろう。しかし、立ち上がって歩き出せば、秘部の奥に僅かながら異物感を覚える。その場所自体が「彼のもの」なのだと主張しているようで、何やら卑猥に感じて恥ずかしくて、ミノリは顔を真っ赤に上気させた。
 
 
 
 
 こうして、お互いに普段と変わらぬ日常を過ごした二人。しかし約束の夕刻がやってくると、ようやく、昨日の全てが夢ではなかったのだと思い知る。クラウスの家の玄関先で顔を合わせた彼らは、まるで初対面の時のように、互いが発する微弱な香りに反応して、一瞬で鼓動を早めた。
「あっ……あの、こんばんは」
「ああ。……よく来たな」
 このつがい達が恋人らしく自然に振舞えるようになるのは、もう少し先の話である。
 

 
 

10 エピローグ

 
 
 季節は巡り、ミノリが牧場経営を始めてから三年目の春がやってきた。
「わたしね、クラウスに黙ってたことがあるんです」
 間仕切りされたギルドの休憩所にて、全身鏡を前にしたミノリが語る。「何だ?」と不思議そうな声が頭上の花冠に振ってくれば、彼女は淡く色付いた唇から、フフッと笑いを溢した。
「わたしがオメガ性だって黙ってたの、本当は、クラウスにアルファ性だって知られちゃったら、もう相手にしてもらえないんじゃないか、って思ったからなんです」
 そう言って、純白のドレスに身を包んだミノリは、傍らに立つ「夫」であり「つがい」でもある相手を見上げる。黒いモーニングを着こなす彼は「見当違いだったな」と笑った。
「あんなのはただの建前で、理由なんぞ何でもいいから、お前を構いたかっただけだ。理由もなく付き纏ったら、ストーカーのオッサンになっちまうだろう?」
 可笑しそうに「オッサンは余計です」と笑うミノリ。そんな彼女を愛おしげに見下ろしていたクラウスは、ふと顎に手をやり、首を捻る。
「……『運命のつがい』というのは、本当にあると思うか?」
 すると、ミノリも笑いを止め、小首を傾げた。
「どうでしょう……?」
 そして、難しい顔で「うーん」と唸り。
「知り合いにそういう人もいないし、都市伝説だと思ってました。……でも」
 ミノリはウェディング・グローブをはめた手で、クラウスの手を握る。
「わたしは、クラウスが『そう』なんじゃないかと思ってます」
 滑らかな絹の感触のその手を、クラウスは自分の胸の高さまで持ち上げると、前屈みになって、そっとキスを落とした。
「奇遇だな。オレもだ」
 
 
『らしくない』 終
 
 

Long and short night

 

 
 
 つがいになってから分かったことが、いくつかあった。
 一つ。「自分はアルファらしくない」と思っているミノリだが、彼女は間違いなくアルファ性の資質を備えているということ。
 二つ。普段のミノリはオメガ性のフェロモン誘引に理性で抗っているだけで、箍を外せばマタタビを与えられた猫状態になってしまうこと。
 三つ。オメガ性の自分は、生涯のパートナーであり主でもある彼女に、決して逆らえないということ。
 
 
 全裸のミノリは、同じく素っ裸でベッドの上へ四肢を投げ出しているクラウスの胸に上半身を乗り上げ、蕩けきった顔で彼の目を覗き込む。そして、ふう、と熱い吐息を漏らしつつ、温めた蜂蜜のように甘ったるい声で囁いた。
「……クラウス……もっと……ほしい、です……」
 今晩、五回目のおねだりである。
 
 
  
 
「このままじゃ、身が持たん……」
 翌朝、ミノリの家を出たクラウスは自宅へ戻るなり、仕事机で頭を抱えて独りごちた。そして書類がしまってある引き出しの一番下に隠し入れていた下世話な週刊誌を取り出すと、ぱらぱら捲り始める。普段は見向きもしないような雑誌を購入したのは、「中年男性の下事情」「必ず女性を満足させる、マンネリ解消SEX」等の見出しが、どうしても気になってしまったからだ。
 黙って目を通すこと、およそ三十分。
 おもむろに立ち上がった彼は、取引先との商談へ出かけるため、必要な書類を仕事鞄に収めてコートを羽織り、足早に自宅を後にしたのだった。
 
 
 
 
 その夜。
 町外への出張から帰ったクラウスは、春の中旬以降、毎日そうしているように、その日もミノリの家へ泊まりに出掛けた。法的には未婚であるものの、互いに同意してつがいになったことで事実上の婚姻関係が成立したため、同棲を始めていたのだった。
 ミノリとつがいになって以降、クラウスが定期的に発情することはなくなっていたが、発情期そのものがなくなったわけではなく。その時期が訪れると、ミノリを前にした時のみ、ミノリに対してだけ発情するようになっていた。よって、街中で彼女と出くわしてしまった時のために朝昼の発情抑制薬は未だ欠かせなかったが、二人きりの時であればいつでも彼女が鎮めてくれるため、発情期は全く苦しいものでなくなった。
 むしろ、普段は穏やかな情交で癒され、月におよそ五日間続く発情期中には隙あらば激しく乱れ合うという、程よくメリハリの効いた性生活を楽しんでいた。
―のだが、初心だったミノリに「いろいろと」手解きをした結果、クラウスより若く、アルファ性として先天的な体力も勝っている彼女は、発情中のクラウスが発するフェロモンの作用によって、自身が満足するまで際限なく彼を求めるようになってしまったのだった。
 しかし、今日のクラウスは、しっかりと対策を考えてきた。
 ミノリの家の玄関扉を開け、パートナーの顔を見るなり、かあっと熱くなるクラウス。ミノリも彼の顔を目にした瞬間、同様に顔を真っ赤に染めた。
「……お帰りなさい」
「……ただいま」
 二人の間に流れる空気は、早くもピンク一色である。
「お風呂が先……で、いいですか?」
「……いや、夕飯を先に貰おう」
 つまり「風呂には一緒に入りたい」ということ。もっと具体的に言えば―
 
 
「……んっ……せっけん……きもち……い……」
「……洗ってる傍から溢れてくるな」
―こういうことである。
「ん……ふぅっ……んぅ……」
 小さなシャワーチェアの上、クラウスに背中を抱かれたミノリは、泡のついた手で下半身の突起を滑らかに扱かれ、控えめな嬌声を上げた。当然ながらクラウスも彼女のフェロモンに侵されており、今すぐにでも彼女の中へ押し入りたくて一物ははち切れんばかりであったが、彼女を満足させることを優先し、荒い息を吐きながらも本能に抗っている。
 クラウスはミノリの中へするりと指を差し入れ、彼女の弱い部分をくすぐるように擦った。途端に、小柄な体躯がびくんと大きく跳ね、背は仰け反り、嬌声も大きくなる。逃げようとする身体を捉えつつ、クラウスは彼女の首に残ってしまった傷痕に口付けると、それを強く吸い上げた。
 ミノリのうなじに、赤い花弁がまた一枚、散らされる。そこには、既にいくつもの朱が。行為の度に増えていくそれは、彼女のつがい相手の、愛執の強さを物語っていた。
 今宵の分の所有の証を残し終えて満足すると、クラウスは指を引き抜き、代わりに避妊具を装着した自身の先端を、ミノリの入り口に擦り付ける。我慢も限界に近かった彼は、数回往復させただけで耐え切れなくなり、そのまま下から一気に彼女を貫いた。
「ああぁっ……!!」
 叫びに近い、歓喜の声を上げるミノリ。クラウスも彼女の耳元に、はあ、と熱い息を吐きかける。
「ミノリ……このまま、こっちを向けるか?」
「ん……ぅ……」
 肯定の返事か喘ぎか判じ得ない声を漏らし、ミノリは繋がった部分を軸にして、辿々しくクラウスに向き合う。すると彼は、白い肌に実ったさくらんぼのような突起を、ぱくりと口に含んだ。同時にミノリの体を揺すり、斜め下から突き上げ始める。
「あぁっ……あっ……」
 可愛らしく鳴きながら、ミノリは無意識にクラウスの耳の裏へ鼻を近づけ、より濃厚な彼の香りを嗅ぐ。そして、恍惚とした表情を浮かべた。
「きもち……いっ……あ……ああぁぁっ……!」
 ミノリはあっという間に、最初の絶頂を迎える。追ってクラウスも小さく痙攣し、この日溜め込んだ分の性欲を、ひとまず解放したのだった。
 

 
 
 しかし、まだまだ夜は始まったばかりである。
 睦まじく湯船に浸かって体を温めた二人は、裸のままベッドへ移動し。蕩けた顔で甘くじゃれ合い、啄むようなキスを幾度も交わす。
 徐々に激しくなる愛撫の応酬、深みを増していく口付け。荒い呼吸の合間にミノリの肩を甘噛みしたクラウスは、ついに彼女をシーツの海へと俯せに沈めた。
 ミノリは体を起こそうと軽く身じろいだが、背中の中心を片手でそっと押さえつけられていたため、叶わず。そんな些細な力にも抵抗できないほど、彼女は恋人の発する香りに酔って脱力していた。
ここでクラウスが、夕食後にこっそりナイトテーブルに置いておいた紙袋を取り出す。それを目にしたミノリは伏したまま、上目遣いで彼を見上げた。
「……それ、何ですか?」
その質問を待ってましたとばかりに、ニヤリと口角を上げるクラウス。
「エッチで可愛いお前への、お土産だよ」
元々上気していたミノリの顔が、いっそう赤く染まる。
「えっ……えっちなんかじゃ……」
「毎晩、『もっと、もっと』とせがむ欲しがりさんには、こういうのが丁度良いかと思ってな」
そう言って彼が紙袋から取り出したのは、不思議な形をしたピンク色の棒だった。持ち手らしき部分から細いコードが伸び、リモコン状ものと繋がっている。それが何か分からず、ぽかんとするミノリ。そんな彼女の頬を、クラウスは棒の先端でつんつんと突いた。
「こういうのを見るのは、初めてか?」
「……はい」
 ミノリは顔の前に差し出された棒を、恐る恐る二本の指先で摘まんでみた。指の腹に伝わる、ぷにぷにした感触。小首を傾げる彼女を、クラウスが楽しげに見下ろす。
「どうやって使うと思う?」
「え……? えっと……」
 少し難しい顔で考え始めたミノリだったが、今の自分が置かれている状況を鑑みてすぐに想像がついたらしく、かあっと耳まで真っ赤になった。
「あ……、わ、わかりません……」
 無駄にかまとと振る彼女の耳元へ、クラウスは唇を寄せる。
「分からないか? それじゃ、使ってみようか」
「やっ、ヤです!」
 そう答えてもぞもぞ暴れ出したミノリの背中を、クラウスが片手で優しく、しかし確実に押さえつけた。
「そうやって暴れると思って、こんなものも用意してみたんだ」
 彼は手にしていた「おもちゃ」を放りだすと、同じ紙袋から、今度は別の何かを取り出す。それを目にしたミノリは、強張った表情でごくんと唾を飲んだ。クラウスがニコニコしながら手にしていた「それ」は、ピンク色のファーに包まれた、手錠だった。
 
 
「やだ……! こんなの、イヤです……!」
 半ば強制的に、後ろ手に手錠をかけられて仰向けに寝転がされたミノリは、脚をバタバタさせる。そんな絶景を眼下に置くクラウスの呼吸は浅く小刻みで、今にも理性が弾け飛びそうだった。否、既に飛んでいたのかもしれない。
「大人しくしてろ。気持ち良くしてやるから」
 しかし、ミノリは尚も涙目で訴える。
「や……やだ……! クラウスのがいいです……!」
 未知の異物を挿入されたくない一心から飛び出した言葉であろうが、思わず、ぐっと引くクラウス。僅かに迷いが生じたものの、それでも、やはり邪な遊び心には勝てなかった。
「後で、好きなだけくれてやるから。とりあえず、一回試してみよう。な?」
 そう言いながら彼はミノリの脚を開くと、既にしとどに濡れていた秘所へ、ゆっくりと棒を埋め込んでいく。彼の「モノ」より少し細めのそれは、いとも簡単に彼女の中へ飲み込まれてしまった。
「……っ……!」
 それほど挿入感がなかったのか、ミノリが声を上げることはなかったものの、ぴくりと小さな反応だけは返る。クラウスは間髪入れず、彼女の最奥を棒の先端でくすぐるように、つんつんと突いてみた。
「っあ……」
 控えめな嬌声が漏れる。しかし、彼を受け入れる瞬間ほど快さげでもなかった。クラウスは嬉しく思ったが、同時に、多少つまらなさも感じた。「後で好きなだけ」と口にした通り、ある程度ミノリを満足させたら自身も存分に楽しむ気でいた彼は、長々と焦らす気もなかったため、さっそく奥をぐりぐり抉る。
「や……っあん!! ああぁ!! あぁっ!!」
 途端に、ミノリが高い声を上げた。
「このくらいの刺激が快いのか。手前のほうはどうだ?」
 答えを求めぬ問いを投げつつ、彼は挿入物を恥骨の下部へと移動させ、先端を擦り付ける。
「イヤっ……! そっ、そこっ……あっ……! ああぁぁっ……!」
 反応は上々だった。調子に乗ったクラウスは、執拗に同じ場所を刺激し続ける。
「やっ……やぁ……! あっ……あぁ……ん……!」
 よもや泣き声に近い囀りを響かせながらミノリが身を捩るも、彼は尚、玩具を前後に動かす手を止めない。そのまましばらく続けていると、とうとう、ミノリの女陰茎から透明な液体が迸り出た。クラウスはようやく動きを止めると、粘度の低いその体液を指先に絡め取り、匂いを確かめる。
 

 
「……潮、だな」
 そして、いかにも嬉しそうに口元を歪めた。
「お漏らしするほど快かったか?」
 ミノリはと言えば、はあ、はあと肩で息をしつつ、潤んだ瞳から、ぽろりと涙を零す。
「……ひど……い……」
 どうやら本気で泣いている様子の彼女を目にし、急き過ぎた自覚のあったクラウスは、ぎょっとした。盛大に焦り、慌ててフォローを試みる。
「あー……、だが、悪くなかっただろ? こういう趣向も、面白いと思って、だな……。……今日は、もうしまっておくか」
 しかし、そう言って彼がミノリの中から玩具を引き抜こうとすると、彼女はきゅっと足を締めて阻害した。腰をもじもじ揺らし始めた相手へ、心配そうな顔を向けるクラウス。「どうした?」と問おうとした―が、彼から視線を逸らしつつも、物欲しそうに軽く下唇を噛んでいるミノリの様相を目の当たりにし、再び笑みを浮かべる。
 嫌よ嫌よも好きのうち、というわけか。
 クラウスは黙ったまま、彼女の中へ棒を押し戻すと、何も告げずにリモコンのスライドスイッチを一気に中段まで押し上げた。
「……っん!! ……っああぁぁ!!」
 突如、最奥を微振動に攻められ、堪らず声を上げるミノリ。そんな彼女の耳元で、クラウスが低く囁く。
「気に入ってくれて良かったよ。これで、あと二回くらい達しておこうな」
 ミノリは泣き叫ぶような嬌声を上げながら、その言葉を遠くに聞いていた。
 
 
 
 
 翌朝。
「何の相談もなしに、いきなりあんなの……酷いです!」
「そうか? しかし、お前も結構楽しんでいるように見えたが」
 ティーカップを片手に真っ赤な顔で抗議したミノリへ、意地悪い視線を向けるクラウス。既に着替え終えてベッドに腰掛けていた彼は、そのまま黙って可愛い恋人を見つめ続ける。すると、まだ裸のまま掛布団にくるまっているミノリは、あせあせしながら続けた。
「あっ……、あれは、クラウスのフェロモンのせいで……!」
「それじゃ、オレのも、お前のフェロモンのせいだな」
「……っ!」
 クラウスが涼しい顔で、自分の淹れたモーニング・ティーを啜る。
「可愛かったぞ。……ああ、それと、あれ以外にも買ったものがあるから、今夜使ってみような」
「……!!」
 これで当面は体力が持ちそうだ―などと考えつつ、クラウスはカップの中身を飲み干した。
 
 
 『Long and short night』 終
 

 

 
 

呼吸を奪うあなた

 

 
 
 入浴を終えたミノリがリビングへ戻ると、彼女の恋人―クラウスはベッドに腰掛け、園芸雑誌を捲っていた。オメガ性である彼の発情期はまだ先のはずだが、今夜は「普通の」睦み事に誘われるのではとさっそく身構えたミノリは、ほんのり頬を染め、きゅっと体を堅くする。発情期のつがい相手の匂いに中てられた時が特別なだけで、普段は「こう」なのだ。
 クラウスはふと顔を上げ、ミノリが現れたことに気付くと、穏やかに微笑みかける。そして、自分の隣の空席をぽんぽんと叩いた。高鳴る鼓動を隠し、ミノリは何でもない風を装って、彼の傍らに腰掛ける。
 瞬間、甘い香りがふわりと彼女の鼻をくすぐった。その期間でなくとも多少、互いの匂いに反応してしまうのは、つがいの特性なのだろう。発情こそしなかったものの、動悸が余計に早まる。
「ミノリ」
 斜め上から降ってきた低い声に、思わず居住まいを正すミノリ。
「はい?」
 素っ頓狂な声で返したものの、クラウスはいつもの彼らしくなく、それを笑うことはしなかった。代わりにナイトテーブルへ手を伸ばすと、卓上カレンダーの裏から何かを取り出す。
 手にしていたのは、ラピスラズリのような紺色の包装紙でラッピングされた、小振りの箱だった。
「……突然で何だが、お前へのプレゼントだ」
 そう言って渡された箱を、ミノリは「ありがとうございます」と礼を言いつつ、はにかんで受け取る。そして、すぐに小首を傾げた。
「今日って、何かありましたっけ……?」
 ハハッと笑うクラウス。
「いや、特に何もないけどな。サプライズ、ってやつだよ」
「そうですか。何か忘れてたかな? って、本当にちょっとびっくりしちゃいました。嬉しいです」
 ニコニコ顔のミノリを前にして、クラウスも満足げに微笑む。
「開けてもいいですか?」
「ああ。気に入って貰えるといいんだが」
 ミノリは留めてあったテープを丁寧に剥がし、紙を破かないよう慎重に包装を解いていく。下からあらわれた黒色の化粧箱の蓋を開ければ、中に入っていたのは、生成色のナチュラルレースのチョーカーだった。幅広な付け襟様のデザインで、所々に薄緑色の小さな翡翠が縫い付けられている。
「わあ……! かわいいです」
 手に取ってじっくり眺めてから、さっそく着用してみようと動いたミノリの手を、クラウスが制した。
「オレが付けてやろう」
 チョーカーを受け取った彼は、ミノリの髪を少し避けつつ、彼女の首の後ろで器用に留め具を嵌める。
「これなら、残っちまった傷が隠れると思ってな。……毎日付けてくれると嬉しい」
 実は、クラウスには「他の雄の歯型」以外にも隠して欲しいものがあったのだが、ミノリ本人はまだ気付いていない様子だったので、それについては黙っていた。そんな彼の思惑など知る由もないミノリは、ただただ幸せそうに「はい」と返事する。
 クラウスはナイトテーブルの引き出しから手鏡を引っ張り出し、彼女に渡した。
「うん、見立て通りだ。似合ってるよ」
「普段着にぴったりですね! 牧場仕事の時は外さないとですけど、町に出る時は付けさせてもらいます」
「ああ。そうしてくれ」
 頷きながら、彼は亜麻色の後ろ髪をさらりと梳く。その手で華奢な肩を抱くと、優しく引き寄せ、薄紅の唇をそっと塞いだ。
 
 
『呼吸を奪うあなた』 終
 

 

 
 

真夜中のお散歩

 

 
 
(こんなつもりじゃ、なかったんだがなあ……)
 発情中のクラウスは息を荒らげつつも、着衣したまま、傍らからぼんやりとベッドの上を見下ろした。しっかり防水シーツが敷かれたそこには、最愛のつがい相手―ミノリの姿。そして彼の右手には、太い物と細い物、二本の棒状の物体。左手には、茶色いふさふさの尻尾が付いた、小振りな梨型の器具。
 白く滑らかな臀部をクラウスに向かって突き出す格好でベッドに俯せた彼女は、可愛らしいピンクの全身拘束具を身に着け、ヘッドボードに首輪で繋がれ、手枷足枷を嵌められ、アイマスクで目隠しされ、ボール型の口枷を嵌められ、さらには微振動する玩具に両乳首と女陰茎を責められている真っ最中であった。
「んっ……ん……んぅ……」
 くぐもった声で艶めかしく囀るミノリを前にして、クラウスは額を抑えて俯き、「はあ……」と熱く湿った溜息を吐く。そして、今一度思った。
(こんなつもりじゃ……)
 
 
「そんなつもり」はなかったとしても、こうなってしまった原因は、間違いなく彼にあった。
 発情期のオメガのフェロモンに中てられたミノリから一晩中体を求められ、消耗しきってしまったクラウスは、「自分はできる限り体力を使わず、彼女の性欲を発散させる方法」として、二人の夜の営みに、初心者向けの「玩具」を導入した。それによって、毎回ミノリが先に限界を迎えるよう、クラウスの側でコントロールできるようになった―ところまでは、良かったのだが。
 相手の反応が良いことで増長し、以後、あれこれと新しい「道具」を試してしまったのが悪かった。
 あまつさえ、興味の赴くままに彼女の「後ろの穴」まで開発してみた結果、今度はミノリのほうから、別な「おねだり」をされるようになってしまう。
 あくまで遠回しに、断り難い可愛らしさで「もっと焦らして、虐めて、気持ち良くして欲しい」と。
 元々、「ミノリがよがる姿をもっと見たい」という軽い気持ちで、欲に飽かせてあれこれ手を出し始めたクラウスであったが、今や完全にミノリに手綱を握られ、彼女を痛め付けることこそしなかったものの、自分でもドン引くような「プレイ」を嗜むようになってしまった。それを、全く「嫌」と思えないこともまた、彼の葛藤の一つであった。
 
 
(これでは、まるで変態じゃないか……。いや、)
 この状況は体質に踊らされた結果であり、決して己の本意でない故、自分は変態とは違う、と未だに往生際悪く、誰にともなく言い訳を繰り返しているクラウス。しかし、少なくとも片足程度は確実に突っ込んでいる自覚があった。
 彼は左膝をベッドに乗り上げ、ミノリの尻をそろりと撫で上げる。そして彼女の耳元へ顔を近付けると、低く囁いた。
「そろそろ、一時間になるな。……楽しめたか?」
 ミノリが「んっ、んん……っ!」と、意味を成さない音を漏らす。クラウスは黙って、彼女の目隠しを外してやる。すると黒い布の下から、涙で潤んだ双眸があらわれた。火照った身体から発せられる甘い芳香と、物欲しげなその表情に発情を煽られたクラウスは、思わずごくりと固唾を飲む。
「こんなに涎も垂らして……『全然足りない』って顔だな。ここも、何もしていないのにトロトロだ」
 そう言つつ、彼はミノリの花弁の隙間へ何の前触れもなく二本指を挿入すると、くちゅくちゅ掻き回した。
「んっ……! ふ……んっ……」
「これなら、すぐに挿れても問題なさそうだな」
 そして急くようにズボンのベルトを外し、チャックを下ろす。クラウスは「ふーっ、ふーっ」と鼻で息を継ぎながら、僅かに震える手で、しかし手際良く避妊具を付け終えると、ミノリの中へ乱暴に押し入った。それでも、すっかり熟して彼の形になっている「そこ」は、すんなりと侵入者を迎え入れる。一番欲しいものを「おあずけ」され、たっぷり焦らされていた彼女は、心底嬉しそうに「んんっ……! んっ……!」と高く鳴いた。
 一時間もお預けされていたのは、クラウスも同様で。挿入と共に理性の箍が外れた彼は、ミノリを後ろから激しく突き立てる。そして二人は、あっという間に最初の絶頂を迎えた。
 
 
 一旦性欲を発散して我に返ると、クラウスはすぐさま次の行動に移る。まだパートナーはぐったりしていたものの、気遣って甘やかしたい気持ちをぐっと抑え、間髪入れずに行為を継続したほうが、より早く彼女を満足させることができるのだ。
 クラウスはミノリの頬を、初めに手にしていたふさふさの尻尾で撫でる。と、彼女はボールに開いた穴の隙間から細い吐息を漏らしつつ、くすぐったそうに瞼を閉じた。
「……ほら。これを付けて、お前の好きな『散歩』に連れて行ってやるから」
「……ん……」
 およそ承諾の返事らしくない音が返る。しかし最初から答えを期待していなかったのか、クラウスは構わず、梨型のプラグ部分にたっぷりとワセリンを塗布した。そして今度はその先端で、ミノリの「後ろの穴」の入り口を、ちょんちょんと突く。
 

 
 それが合図でもあったのか、そこから一気に、彼女の直腸へとプラグを押し込んだ。
「んぐっ……う……!!」
 一つ、苦しげに呻くミノリ。が、すぐに余韻に浸って、甘い声を漏らし始める。
「……っふ……ぅ……んっ……」
「『こっち』を使われるのも、すっかり慣れっこになっちまったな」
 クラウスは手際良く、彼女の手枷、足枷を外していった。胸の先端と女陰茎に振動を与える玩具はそのままで、最後に口枷も外してやる。息苦しさから解放され、「はあ……」と濡れた吐息を零したミノリの口元、そして胸元を、クラウスがハンカチで優しく丁寧に拭き上げた。
「ほら、綺麗になったぞ」
「……ありがと……っ……ございま……」
 口では礼を言いつつ、尚も蕩けた瞳で切なげにクラウスを見上げるミノリ。彼女はよろりと上体を前に倒し、クラウスの肩に頭を預けると、恥ずかしげもなく、すんすんと彼の首筋を匂った。
「……っ……は……あ……」
 オメガ性の発情に誘われて放出された、芳しいミノリのフェロモンが、クラウスの脳も侵していく。しかし思春期を迎えてこの方、己の発情期に苦しめられ続けていた彼は、自身の性欲をコントロール術にも長けていた。体の反応は止められなくとも、理性だけはギリギリまで失わないよう、意識をミノリに集中させる。
「……そうしていると、まるで本物の犬みたいだな」
「いぬ、で……いい……です」
 その先は口にしなかったものの、「だから、早くちょうだい」と、ミノリが視線でねだった。クラウスはそれを無視して、ヘッドボードに縛り付けていたリードの先端を解き、手に取る。
「おいで。外で『する』ほうが、快いだろう?」
 赤い頬をさらに赤らめ、こくん、と頷くミノリ。果たして、どこまで思考力が残っているのやら。クラウスは苦笑しつつ、リードを軽く引っ張った。
 そのまま、玄関先へと移動する二人。
 クラウスのコートを羽織らされたミノリは、うっとりとした表情で、その匂いをくんくん嗅ぐ。そして、幸せそうに溜息を吐いた。
「……いいにおい……」
 彼女がクラウスの匂いを嗅ぎ回るのは発情期のお約束なので、コートの持ち主はあまり気に留めない。というより、己の性欲が再び鎌首をもたげ始めたことを察知し、そんな愛らしく妖艶なミノリを、あえて見ないよう努めていた。クラウスは黙って彼女の下半身に手を伸ばすと、すぐに尻尾を探り当て、毛の中に埋もれていたスイッチボタンを押す。
「っああ……っ!!」
 同時に、ミノリが大きめの声を上げ、ぎゅっとクラウスにしがみついた。どうやら一瞬で達してしまったらしく、彼女の小さな身体が、ビクビクと小刻みに痙攣する。その様相と熱い体温、シャツ越しにも伝わる豊かな胸の感触に、クラウスの背筋はぞくりと震え、彼の分身にも熱が移った。が、それでも彼は、すぐに理性を立て直す。
「ああぁ……ん! んぅ……っ!」
「……さて、行こうか。大人しく歩けたら、後でご褒美だぞ」
「ご褒美」という言葉に反応し、きゅっと下唇を噛むミノリ。クラウスはリードを引いて彼女を少し上向かせると、その額へそっとキスを落とした。
 
 
 晩夏の夜の程よく冷えた空気が、火照った体に心地良い。満天の星空の下、夜露の香り漂う牧場地を、二人は寄り添って歩く。
 これが普通のデートであれば、ただただロマンチックであったのだが、残念ながらと言うべきか、喜ばしいことにと評するべきか―今は「お散歩」の最中である。首輪をはめているミノリは、ボタンを外したままのコートの前立てを合わせて握りしめつつ、クラウスの腕をぎゅっと掴んだ。普段のブーツでなく、桃色のベルト付きパンプスを履いた彼女の足は、小鹿のように震えている。頼られている感があって若干の嬉しさを感じたクラウスは、思わず口元を緩めた。
「……大丈夫か?」
 尋ねてみれば、小刻みな呼吸の合間から「はい」と返事が戻る。
 ぴったりとくっついたミノリの体が、時折、微かに痙攣すると、その微細な振動がクラウスへ伝わった。その度、彼は「また達したか」とほくそ笑んで、興奮を高める。
 玄関先から牧場の入り口まで続く石畳の上をゆっくりと歩ききった二人は、やがて馬小屋へ到着した。一応、公共の建造物であるが、高原まで馬で来る者は滅多にいないため、ほぼミノリの所有物になっている。当然ながら、夜も更けた今の時分に人影はない。
 ここへきてようやくクラウスは歩を止め、ミノリの頭を優しく撫でてやった。その手でそっと頬をくすぐり、顎を持ち上げると、彼女の唇を自身の口で塞ぐ。暫しの間、淫靡な音を立てて舌を絡め合い、唾液を交換し合うつがいたち。やっと顔を離したクラウスは、ミノリの濡れた口元を親指で拭いながら、低い声で語りかけた。
「……よく頑張ったな。約束通り、まだ欲しければ続きをするが……どうする?」
 馬小屋の街灯に照らされ、クラウスの鋭い双眸が光る。向かい合うミノリは少し目を逸らし、下半身をもじもじ揺らしながら「……ほしい、です……」と、蚊の鳴くような声で答えた。答えるや否や、彼女はすぐさまクラウスによって壁に手を付かされ、尻を突き出した格好を取らされる。
 ミノリが着ているコートの邪魔な裾を脇へ流したクラウスは、「尻尾は……このままでいいか」と呟いた。そして、彼女の秘所の潤いを確認する。予想はしていたが、透明な露が腿を伝って流れ落ちるほど、そこはたっぷりと濡れていた。
「……すごいな」
 思わず声に出すクラウス。ミノリは恥ずかしかったのか、俯いたまま、黙って首を横に振った。
 準備は既に万端、焦らすだけ時間の無駄と見るや、クラウスは態勢を整え、自身の一物をミノリの入り口に宛がう。そして、手馴れた様子でそれを押し込んだ。
「……っあ……!」
 待ちに待った「ご褒美」を貰った愛玩犬が、ごく控えめに鳴く。一応、野外であることは気にしているらしい。しかしクラウスは、そんな彼女の中をお構いなしに蹂躙した。最奥の敏感な部分目がけて腰を打ち付ければ、ミノリは抑えようと努力しつつも、しどけない声を漏らす。
「っあ……ん……っ、んっ……! あぁっ……!」
 その様が可愛らしくて、つい激しさを増してしまうクラウス。無論、こんな場面を誰かに見られたら面倒なことになるのは、重々承知の上である。それでも欲望に勝てないのは、既に理性の一部が消し飛んでしまっているためだ。如何に「らしくない」とは言え、彼もオメガ性である。一旦、激しく発情してしまえば、伴侶の体を求める欲求は止まらない。
 

 
「ミノリ……っ、好きだ……!」
 興奮も最高潮に達したクラウスは、「はあ、はあ」と荒い息の合間に告白する。しかし、同じく性欲に脳を侵されているミノリに、それを聞いている余裕はない。ただ音として捉えつつ、享楽に溺れていた。
 
 
 帰りは行き以上に、彼女にとって甘くつらいものだった。
 なぜなら、その場で「もう一回」とねだった結果、先刻まで彼が挿入っていたその場所に、持ち手のない型の、うねうねと動く張り型を押し込まれてしまったからだ。そんなミノリは行きと同じくクラウスにしがみつき、彼の香りを嗅ぎながら幾度も絶頂の波に飲まれ、恍惚とした表情を浮かべている。
 クラウスはクラウスで、帰ったら即、良い子で歩ききったパートナーから二度目の「ご褒美」を要求されるであろうことを察知しており、それまでは手を出せない葛藤を抱え。ミノリの艶めかしい喘ぎを聴きつつ、再び溜まり始めた己が精と闘っていた。
 そんな複雑な現状に対し、クラウスは「こんなはずじゃなかった」などと、心の内でぼやくのだった。
 
 
『真夜中のお散歩』 終
 

 
 

Let “ass” alone!

 

 
 
 春の始めに結婚式を挙げ、法的にも正式な夫婦となったミノリとクラウス。とは言え、二人が番ってから既に一年以上経っており、恋人として同棲していることは町の誰もが知っていたため、「ようやく籍を入れたか」程度の反応であった。事実、彼らの日常に何ら変化はない。
 それでも「蜜月(ハネムーン)」だけは、しっかり満喫しており。
「んっ……クラウス、そろそろ起きないと……。仕事に遅れちゃいますよ……?」
「分かってる。はあ……夜までお預けだなんて、酷だな……」
「あ……ん、もう……っ。ほら、着替えてください」
 クラウスは裸のまま、足元に転がっていた寝間着を取って渋々ベッドから降りると、シャワーを浴びるために浴室へ向かった。朝も早くから二人が布団の中で何をしていたかは、ご想像にお任せしよう。
 熱いシャワーで目を覚ました彼が、下着一丁で歯を磨き始めた頃、今度はネグリジェ姿のミノリが、入れ替わりに浴室へと入っていく。彼女は半透明の扉の向こうで服を脱ぎ、同じく温水の蛇口を捻った。
 すぐ傍らにぼんやり透けて見える柔らかな身体の線を眺めつつ、思わず頬を緩めるクラウス。
「ミノリ」
 何気なく名前を呼んでみれば、「なんですか?」と艶めかしくエコーの掛かった声が返ってくる。ニヤけた顔で「何でもない」などと返しながら、クラウスは口をすすいだ。本人にも、浮かれきっている自覚はあった。
 
 
 そんな彼への罰か、はたまたご褒美か。
 その日の夜。まだ発情期でもないのに、ベッドタイムが訪れるや否や可愛い妻を性急に寝所へ押し倒したクラウスは、ふと、ナイトテーブルの上に見慣れぬ小包を見つけ、動きを止める。宅配便の伝票が付いているところを見るに、おそらく通販で購入した品なのだろう。
「あの包みは、何だ?」
 何気なく尋ねると、ミノリは一瞬で耳まで真っ赤になって、もごもご口籠った。そっと包みを手に取った彼女は、外装を解きながら言い難そうに切り出す。
「えっ、と……。通販で頼んだもの、なんですけど……」
 それは、見れば分かる。気になるのは中身だ。しかし置いてあった場所と彼女の反応から、クラウスは「色っぽい物」なのではと予想し、期待を胸に続きを待った。
 が、中から出てきたのは、確かに「色っぽい物」ではあったものの、予想外の物体で。「それ」を目にした瞬間、彼の顔は、さあっと青ざめた。
「あー……。これは……『挿入用の補助器具』か……?」
「……はい」
 ミノリが手にしていたのは、腰に装着するためのベルトが付いた、シンプルな陰茎型の器具だった。嫌な予感がしたクラウスは、「ハハ……」と乾いた笑いを零しつつ尋ねる。
「それを、オレが付けるのか……?」
「いえ、その……。わたしが付ける用に、買ってみたんですけど……」
 だよな、と、クラウスは心の内で相槌を打った。
「お前がそんなものを買うなんて、意外だな……。もしかして『挿れる側』のほうが良かったのか……?」
「ちっ、違うんです!」
 相変わらず上気した顔で、ぶんぶん首を振るミノリ。彼女は「それ」を購入した理由について、辿々しく説明を始める。
「そっ……その……、クラウスって、オメガ性じゃないですか……?」
「ああ。そうだな」
「それで……オメガ性の男の人は、ほとんどの人が『お尻』を使うって……最近知ったんです」
 大方そんなことだろうとは思っていたクラウスだが、それを解っていて、あえて「ちょっと待て」と彼女の発言に割り込んだ。
「確かに、ほとんどのヤツはそうかもしれないが……そもそもオレたちは、体つきも『普通』とは少し違うだろう? オレたちなりに良い『やり方』があるなら、そんなもの気にしなくていいと思うんだが……違うか?」
「違わない」以外の返答を認めない言い様である。当然ながら、ミノリもそのように答えた。しかし、こうも続ける。
「……でも、『お尻のほうがイイ』って聞いたので……。わたしも、クラウスに気持ちよくなって欲しいですし……」
 どうやら、彼女は完全に善意のつもりでいるらしい。若干、焦り始めるクラウス。
「心遣いは、嬉しいが……オレは、どちらかというと挿れる側のほうが……」
 言葉を濁してやんわり拒否してみれば、ミノリはすぐに解ってくれたものの、同時に、しゅんと俯いてしまった。
「そうですか……ごめんなさい。相談もしないで、余計なものを買ってしまって……」
「いや……」
 彼女の言葉と態度が、チクチクとクラウスの胸を刺す。その罪悪感に耐え切れなかった彼は、悩みに悩んだ末、意を決して頷いた。
「……一回だけ、試してみようか」
 

 
 
 トイレで「下準備」を済ませたクラウスは、些か緊張しつつ、つがい相手の待つベッドへと戻る。三十余年守り抜いた「後ろの童貞」を、まさか十以上年下の妻相手に失うことになるとは、思ってもみなかった。「前が使い物になるのだから、わざわざ痛い思いをしてまで後ろを犯されたくはない」というのが本音であったが、強く断れなかったのは、おそらく同じ思いを抱いていたであろうパートナーに対して、半ば騙すような形で、その場所の開発を進めてしまった経緯があるからだ。「自分は嫌だ」とは、さすがに言い難かった。
 ベッドの上に裸でちょこんと座るミノリの下腹部には、可愛らしい顔に似合わぬ立派な一物が、既にそそり立っている。クラウスは額に冷たい汗を浮かべ、思わずごくりと固唾を飲んだ。
「初心者向けにしては、少し大きすぎないか……?」
「えっ……でも、これ、小さめらしいですよ……?」
 確かに、言われてみれば自分の持ち物よりも小さい気はする。しかし、それは経験者にとっての話であって、やはり初心者には大きすぎるだろう、と肩を落とすクラウスだった。なけなしのプライドを死守し、黙ってはいたが。
「……そうか。……まあ、挿れる前に解せば大丈夫か……」
「はいっ。ちゃんと、いつもクラウスがしてくれるみたいにしますから……」
 そう言うとミノリは、自分の指先にしっかりとワセリンを塗り始める。その若干おぼつかない手付きが、更にクラウスの不安を煽った。彼は改めて、いつも受け側として己の無体にも文句を言わず身を委ねてくれるつがい相手へ、感謝と尊敬の念を抱いた。
「それじゃ、あの……俯せになってもらえますか……?」
 ミノリから少し申し訳なさげに促され、クラウスはやむなくシーツへ体を伏せる。すると、間髪入れずに下着が擦り下された。心の準備も何もあったものでない手の速さに、彼が肩越しに振り返って「いきなり脱がすのか」などと突っ込もうとした矢先、今度は肛門の辺りに、ぬるりとした感触が。彼の顔は、かあっと上気し、背筋に快感の震えが走った。
「……っ!」
 悲しいかなオメガ男性の性で、どんなに不本意であっても、行為に際して多少なりとも興奮すれば「そこ」は自然と濡れてしまうらしい。
「ワセリンは、いらなかったでしょうか……」
 パートナーの、そんな邪気のない台詞が、心に刺さる。クラウスが「もうどうにでもしてくれ」という気分になりかけていると、本当に何の前段もなく、彼の直腸に細い指が侵入してきた。あまりにも自然に入り込んだため、すぐにはその存在を認識できず、ただ入り口に微妙な違和感のみを覚えて、クラウスは頭に「?」を浮かべる。しかし一瞬置いて、内臓にじわりと熱を感じた。
「……入った、のか……?」
「はい。指が、一本だけ……です、けど」
 そう言ってミノリは、彼の中で人差し指の先端をぴこぴこ動かした。途端に、クラウスが苦しげに眉を顰める。
「……っ……!」
 辛うじて声を押し殺し、代わりに、はー、はーと深く長い息を吐いた。
「あ、の……痛かった、ですか……?」
 おずおずと尋ねるミノリに対して、クラウスは「いや、大丈夫だ」と尚も強がる。実際、痛くはなかったものの、快とも不快とも判別し難い、未知の感覚に襲われていた。が、その感覚に慣れる前に、早くも二本目の指―中指が追加される。さすがに多少の痛みを覚えた彼は、「ぅっ」と小さな声を上げた。
「ミノリ、ちょっと待ってくれ。もう少し慣らしてから―」
 言うが早いか、ゆっくりと指を出し入れし始めるミノリ。クラウスの背筋が、ぞわぞわと粟立った。
「慣らすって、こんな感じでしょうか……?」
 思いの外冷静に、ミノリが訪ねてくる。しかし、受け手側に返事をする余裕はなく。ただ、汗の滲む手でぎゅっとシーツを掴んで、違和感に耐えた。
 しばらくそうしていると、ようやく内部への刺激にも慣れ。却って早く終わらせて欲しいと願い始めたクラウスは、覚悟を決めて「もう、入れていいから」と呟いた。それを受けたミノリは、ごくんと唾を飲み下して一つ頷くと、紛い物の茎の先端を、クラウスの後孔に宛がう。
 そして、ゆっくりと、しかし躊躇なく、それを押し込んだ。
 クラウスは歯を食いしばり、目じりに涙を浮かべつつ「もう少し遠慮してくれても」と思ったが、普段は自分が同じことをしているだけに、文句の一つも言うことができない。「せめて発情期であれば、もう少しマシな気分だったかもしれないのに」などと、思考を仮定に逃すのがやっとだった。
「っは……あ……」
 堪らず声を漏らせば、冷や汗の浮かぶ肩に、ひた、と温かい掌が載せられる。
「……大丈夫、ですか……?」
 耳元で囁かれ、黙って頷くクラウス。僅かに濃くなったミノリの幽香に鼻をくすぐられ、徐々に脳が蕩けてくる。同時に、下腹部への違和感も、少しずつ快感へと変わりつつあった。
 それを察してか否か、ミノリがゆるゆると腰を動かし始める。動かしながら、自身の歯形が残るクラウスのうなじへ、労わるように口付けた。
 そうして少しの間、律動的な動きを繰り返していた二人だったが、ふと、クラウスが息継ぎの合間に言葉を発する。
「……ミノリは……っ、……これだと、お前が愉しめないんじゃないか……?」
 ぴた、と動きを止めるミノリ。ほっと息を吐くクラウスだったが、それも一瞬のことで、すぐさま身体が意思に反し、続きを欲して疼き始めた。彼の自認の外で僅かに揺れる腰を、つがいのフェロモンに中てられたミノリが、ぼやけ始めた頭で眺めつつ薄く微笑む。
「……大丈夫、です。……これ……二人で気持ちよくなれる機能が、ついてるんですよ」
 熱い吐息混じりにそう言うと、彼女はベルトに付帯していたスライドスイッチに手をかけ、適当なところまで一気に押し上げた。
 瞬間、二人の敏感な部分を、同時に襲う強振動。
 クラウスの記憶は、この辺りで途切れた。
 

 
 
 翌朝。
「……いきなり『あれ』は、ないだろう……」
 クラウスはヒリヒリ痛む尻穴を下着越しにさすりながら、ベッドの傍に立つミノリを恨めしげに見上げた。文句を言われた側は、素直に「ごめんなさい」と謝る。内心「前後不覚になるくらい気持ちよさそうだったのに」と思ったが、どうやら相手は昨夜の痴態をよく覚えていないようだったので、黙っていた。美しき互助の精神である。
「……でも、快かったですか……?」
「いや。やはり、オレはいつも通り、抱く側のほうがいい」
 キッパリと言い放つクラウス。ミノリは苦笑しつつ、そっと「挿入用の補助器具」を箱に戻した。
「それより……」
 言いかけて、クラウスは彼女の腕を強かに引き、ベッドの上へ抱き寄せる。そして、小さな耳殻を甘噛みしてから、そこに熱い息を吹きかけ、悪戯っぽい声音で低く囁いた。
「今夜は、覚悟しておけよ。オレにしてくれたのと同じように、可愛がってやるからな」
 ミノリの背筋に、ぞくりと甘い痺れが走った。
 
 
『Let “ass” alone!』 終