黒猫雑貨店 第三幕 追憶夢見草 2. 箱に飾紐

 その日は、私の十六歳の誕生日だった。
 私は仕立屋のショウ・ウィンドウを眺めながら、まだ私がリュフェーシカにいた頃の誕生日のことを思い出していた。
 一年の内、その日だけは、毎年決まってアップル・チーズケーキを焼くのだ。
 その他、食卓には、茸と人参のスープ、ロールキャベツ、そして、ほどよく暖めたふかふかのブレッドが並ぶ。
 食事を終え、食器を片付けると、お婆様から渡される飾紐のついた箱。
「お誕生日おめでとう、スヴェーナ」
 ありがとうございます、そう返して包みを開ければ、中からは真新しい上等の服や靴、綺麗なアクセサリーなど、毎年違ったものが一点だけ出てくる。
 早速お婆様の前で身に付け、くるりと回ってみたり、鏡を覗き込んだり。嬉しさも手伝い、気の済むまで ―― 本当に長い時間、そうして部屋の中を行き来した。
 夜も更けた頃になって、ようやく 「ありがとうございます、大切にします」 とお礼を言い、私はもらった品をそっと箱へ戻す。
 その日の晩は、必ず、枕元にその箱を置いて眠るのだった。
 足下を、カサカサと流れていく落ち葉たち。冷たい秋風が、肩を撫でる。私は、思わず身震いした。
 マヤに来てからは、一度も自分の誕生日を祝っていない。それでも、今日までの五年間、昔の習慣を思い出して懐かしむことなど、全くと言っていいほどなかった。
 私は、帰ったら、アップル・チーズケーキを焼こうと決めた。
 そのためには、市場で材料を買わなければならない。私は、急いで親方から頼まれたものを買い集めることにした。
 新品の赤い自転車をその場に停め、スカートの左ポケットから、親方より渡されたリストを取り出す。そこには美しい筆記体で、 「白いシルク、金のチェーン、ゴールドの髪、碧の硝子、好きな布地を数種類。白いものは多めに。星屑」 と書かれていた。
 いつものことながら、かなりいい加減な指定だと思う。
 初めてこのようなリストを受け取ったときにはどうしていいか分からず、仕方なく生地屋の小母様に尋ねたところ、私の親方は、自分で直接生地を注文する際にも、同じような頼み方をするのだそうだ。それも、条件に当てはまるどのような生地を持ってきても、かならず一度目で 「それをいただけますか」 と言うという。
 一度、小母様が冗談で、親方の提示した条件内で、最も安い布地を持ってきたところ、それでも親方は、迷わずその布を購入していったそうだ。
 それほど多くの人形職人とは付き合いがないけれど、そのような買い方をしていく職人は他にいない、本当に彼は正規の職人なのか、と逆に質問されてしまったほどだった。私は、免状の入った箱が、食器戸棚の左下のひらきの奥のほうへしまわれているのを知っていたので、資格は持っています、とだけ答えておいた。
 いつだったか、親方に、道具や布地、その他、人形を作る上で必要となる、もろもろの材料の名称や種類を、全て把握しているのかと質問してみたこともあった。親方の答えは、 「いいえ」 だった。とても嘘を吐いているとは思えなかったけれど、信じられない気持ちでいっぱいだった。しかし、今では私も親方に習い、無理に覚えないことにしている。
 この日は、今日の私の気分で、いいと思った布地を何種類かとってもらった。大きさもまちまちだ。
 必要な生地が揃ったところで、カウンターの向こうの小母様にお礼を言い、店を後にする。
 他、数件の専門店を回り、金のチェーン、ゴールドの髪 ―― 植毛用の細い金糸、瞳に使う碧の硝子を入手した後、小さなスイーツ・ショップ、 「甘い星屑」 へ向かう。リストの一番下にある、 「星屑」 を購入するためだった。
 私が店の脇に自転車を停めると、いつもの小父様が声をかけてくる。
「お、スヴェーナちゃん、いらっしゃい!」
 人好きのする笑顔を浮かべ、カウンターの向こうで手を振っていた。私も少し微笑んで、小さく手を振り返す。
「今日も金平糖、いつもの量でいいかい?」
「はい」
 答えるが早いか、慣れた手つきでスコップを操り、あっという間に金平糖五百グラムを計り終えてしまった。
「はいよ、お待たせ!」
「ありがとうございます」
 私は左手で袋を受け取りながら、右手で小さな銀貨を五枚、渡した。
「はいどうも、毎度ありがとう」
 小父様は受け取った代金を、確認もせずにエプロンのポケットの中へ落とす。微かに鳴る、チャリン、という音が可愛らしい。
 停めてあった自転車へ戻り、前かごの中に金平糖の入った袋を入れると、私は小父様に向かって軽く会釈し、気持ち、急いで店を後にした。
 最後に向かうのは、市場。ここからほど近いところにあるので、自転車に乗れば、あっという間に着く。
 時刻は午後二時頃、通りの人出が少なかったこともあり、市場の西端には、二、三分で到着した。
 露店の前を往来する人もまばらで、ほとんどの店主が、椅子にもたれて一時の休息をとっている。家々に囲まれたこの場所は、さほど風も強くなく、秋の日差しをほどよく遮る天幕のおかげで、心地よい昼寝ができるのかもしれない。
 気持ちよさそうに寝ているところへ声をかけるのは忍びなかったけれど、やむを得ず、私は数軒の露店を回って、ケーキを作るのに必要な材料を揃え、帰途についた。
 帰り道は、やや急な上り坂だ。しかし、この時間帯は海風が背中を押してくれるため、多少は楽になる。
 家へは、あと一時間ほどで到着するだろう。
 耳元で、ヒュー、と、風が唄った。
 
 
「スヴェーナ、おかえりなさい!」
 玄関口に立つと、赤いワンピースを着たフロリーナが出迎えてくれた。
「ただいま」
 私は彼女に向かって軽く微笑み、手にしていた荷物を静かに床へ置いてから、茶色のロング・コートを脱ぐ。
 脱いだコートは、いつも通りハンガーに着せ、外套掛けに預けた。
 そこでふと、親方の黒いロング・コートがないことに気付く。
「親方は、どこかへお出かけですか?」
「はい!」
 フロリーナは、満面の笑みで返事を返した。
 おそらく親方は、またフロリーナに 「少し出かけてきます」 とだけ告げ、家を出て行ったのだろう。何をしに出かけたのか、私には見当がつかない。
 しかし、それもいつものことなので、特に気には留めなかった。
 私は、床に置いた荷物を一度に持ち上げる。そして、そのまま作業場へ向かった。
 私の後を、フロリーナがついてくる。
 肘でドアノブを回して扉を押し開け、私は肩で電灯のスイッチを入れた。真っ暗だった部屋が、パッ、と明るくなった。
 背後で、キャッキャッ、と上がる、嬉しそうな笑い声。
 作業台へ進むと、その上に、紙袋の束を全て降ろす。スカートの左のポケットからリストを取り出し、念のため、買い忘れた物がないか、もう一度確認をした。
 そつはない。
 親方に頼まれた買い物のみをその場へ残して、ケーキの材料を取り上げると、私は足早に台所へ向かう。
 アップル・チーズケーキを作るのは本当に久し振りだ。上手に焼ける自信はあまりなかったけれど、とにかく、作ってみたくて仕方がなかった。
 既に開け放されているドアーを通り、ダイニング・キッチンへ入ると、私はすぐさま、キッチン・カウンターに材料を並べ始めた。
 クリームチーズ、生クリーム、レモン、卵。グラニュー糖、薄力粉、バター、牛乳、ブランデー。そして、新鮮なアップル。
 その様子を、フロリーナが興味深そうに見上げている。
「スヴェーナ、なにを、つくるのですか?」
「出来てからのお楽しみです」
 
 
 親方が帰ってきたのは、午後六時頃。ちょうど、夕食の時間である。
 黒いコートとソフト帽を外套掛けに押し付け、ダイニングのドアーをくぐる頃には、既に、食事の準備は済ませてあった。
 メニューは、茸と人参のスープ、ロールキャベツ、そして、ほどよく暖めたふかふかのブレッド。そして、デザートにアップル・チーズケーキ。
 普段に比べ、少し豪華な食卓に、親方は不思議そうな表情 ―― もっとも、それは私かフロリーナにしか判別できないであろうほど、普段の無表情とさほど変わりないものだったけれど ―― を向ける。
「今日は、何かあるのですか」
「いいえ」
 私は、簡単に露見してしまいそうな嘘を吐いた。しかし、親方はそれ以上追究しようとはせず、 「そうですか」 とだけ言った。
 その夜も、いつもと変わらず食事は始まる。食事中の会話は、ほとんどない。フロリーナの語る、彼女の目線から見た楽しい出来事だけが、話題の全てだ。
 デザートのアップル・チーズケーキは、思いの外、美味しく焼けていた。親方も、おそらく同感だったと思う。食べ終えた後の親方は、いつにも増して機嫌がよさそうだったから。
 食後は、全員で食器を片付ける。食器を洗うのが親方、拭くのがフロリーナ、戸棚にしまうのが私。
 テーブルの上が完璧に綺麗になったのは、午後七時を回った頃だった。いつもなら、ここで解散し、各々自分の部屋へ向かう。
 しかし、今日は少し違った。
「どうぞ」
 何の前触れもなく、親方は懐から小さな箱を取り出し、私に向かってそれを差し出す。
 飾紐のついた、綺麗な箱。
 私は、思わず目を丸くして親方の顔を見上げてしまった。
「誕生日プレゼントです」
 無言の問いに、親方は答えた。
 今日、気付いたのか。はたまた、もうずっと前から知っていたのか。
 どちらにせよ、親方なら、このようなことをやっても不思議ではないと思った。
「開けていいですか」
「どうぞ」
 私は、そっと紐を解く。
 中から出てきたのは、一枚の高級羊皮紙だった。紙には既に、綺麗な字で何かが書かれている。
 
 
 『出産祝い用。ゴールドの髪、碧の瞳、白いシルクのドレス。以下、詳細に関しては依託 …… 』
 
 
 人形の注文書、だった。
「私に、ですか」
「はい。納期は、一ヶ月後です」
 あまりに突然の出来事だった。
 その瞬間、嬉しさや期待感、不安など、いろいろな感情が一度に沸き上がってしまい、私は思わず、何も考えずに口にしてしまう。
 
 
「ありがとうございます、大切にします」