黒猫雑貨店 第二幕 幻想夜想曲 4. 窓と燭台

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 この家の南側に位置する、ダイニング・キッチン。その中心に据えられたテーブルの、深紅のクロスの上に、金色の燭台が載っている。緩やかな波模様の装飾が施された燭台の先端で、赤い炎がゆらゆらと揺れていた。
 オレンジの灯りに照らし出される半透明な窓の外には、絶え間なく舞う、白い雪。私はそっとガラスに触れ、小さな星を描く。
 夕食の準備は、既に整っていた。向かい合わせに据えられた二脚の椅子と、テーブル上にきちんと並べられた、二人分の食事。卒がないか、振り返ってもう一度確認する。
 ワイン、オードブル、スープ、若鶏のロースト、パン、サラダ、そして、デザートのババロア、作り忘れはない。私は、ふう、と息を吐くと、廊下へ続く扉に目を向けた。
 時刻は、午後五時四十七分。
 カランカラン、と、店の玄関のドア・ベルが鳴った。
「こんばんは」
 廊下の奥から、青年の声が聞こえる。
 耳に届いた挨拶がいつもと違っていたことも、私が用意したのがコーヒーではなく一人分の食事だったことも、単に、マヤ – リュフェーシカ間の電車が遅れたという、それだけの理由からだ。
 窓際を離れ、燭台を手に取ると、私は廊下へ出た。吐く息が白い。キシキシと鳴る木製の床の上を真っ直ぐ進み、店舗部分と繋がるドアーを開く。
 目の前に立つ青年は、黒で統一された衣服、穏やかな表情、ともに、先週とほとんど変わりがなかった。ただ、あえて違う点を挙げるならば、黒いソフト帽の上や、黒いロング・コートの肩に、うっすらと白のまだら模様が描かれている。
「こんばんは」
 私は、軽く会釈をした。青年も、微笑んで帽子を取り、頭を下げる。ただ、寒さのためか、その笑顔はどこかぎこちなかった。
「今日も、冷えますね」
 言いながら、青年は黒い手袋をはめた両の手を揉む。
「ええ、本当に」
 私は頷き、燭台をカウンターの上に置いた。
 今、店内のストーブには火が入っていない。とうに閉店時間を過ぎているためだ。そのことを知ってか否か、青年は穏やかに笑ったまま、言う。
「すみませんが、暖を取らせてはいただけないでしょうか」
「ええ、奥の部屋の暖炉でよろしければ」
「それはありがたい」
 青年は、心底嬉しそうに笑った。そして、私の出した次の誘いも、二つ返事で受けたのだった。
「もしご都合のいいようでしたら、ちょうど夕食ができたところなので、ご一緒しませんか」
 
 
 外は雪で、ダイニング・キッチンの中は、しんと静まりかえっていた。
 その中に、食器の立てるカチャカチャという音だけが、ひときわ高く響く。
 食卓の上で沈黙が踊っていたさなか、不意に、青年が口を開いた。
「ここにも、雪は降るのですね」
 呟くように言った青年の目は、窓の外へ向けられている。私は、ロースト・チキンの皿に視線を落とした。
「ええ、雪は好きですから」
 右手を動かし、チキンを切る。青年は、くすりと笑った。
「いい所ですね、ここも」
「そうですか」
「はい」
 私は、切り終えたチキンを口に運ぶ。
「色がありますね」
 青年の言葉に、私は思わず、口の中のものを慌てて飲み込んだ。今は手袋をしていない彼の両手の甲には、確かに、シルフィアイの紋章が紅く刻まれている。
 ナイフとフォークを皿の上へ置くと、ナプキンで口元をぬぐい、マナー違反とは分かってはいたけれど、私は席を立って、ゆっくりと窓際へ歩み寄った。
 半透明な窓ガラスに、小さな窓を描く。その窓を通して、鮮明に見える外の景色。
「もうじき、庭の花壇ではスノー・ドロップが咲きます。ですが、今は雪が降っているだけです」
 それは、半ば弁明に近かった。
「しかし、その窓には、燭台の灯が映っているでしょう」
 穏やかな笑みを浮かべながらも、少し寂しげに、青年は言う。
「オレンジ色の灯が、三つ」
 ふと、会話が途切れた。
 食器の音さえも消えた部屋は、ひたすらに静かだ。
 私は斜め上を向くと、視界に天井の照明を捉えた。そして、そっと瞼を閉じ、開く。
「外は、雪ですよ」
 そう呟き、私は席に戻ると、再びナイフとフォークを手に取った。
 
 
 しんしんと降り続ける雪は、全く止む気配を見せない。