黒猫雑貨店 第二幕 幻想夜想曲 3. 透明な青

8
 リュフェーシカの中央広場に位置する時計台では、正午になると、決まって十二回、鐘が鳴る。その、三つの音からなる澄んだ音色は、今日も例外なく、私の小さな雑貨店まで届けられた。
 半年ほど前から、毎週日曜日、この時間の習慣になっていることがある。
 私は、透明な小袋に七色のクリップを詰める作業を中断し、カウンターの席を立った。店の奥のドアーを開け、廊下に出る。左手、二つ目のドアーが、ダイニング・キッチンのものだ。
 私は部屋へ入ると、真っ直ぐにキッチン・カウンターへ向かった。
 ケトルを取り、半分まで水を入れてコンロにかける。きちんと火がついたのを確認してから、今度は食器棚の中段より、コーヒー・ミルを引き出した。
 戸棚から麻袋を取り出し、その中に入ったコーヒー豆を、スコップに一すくい、カバーを開けたミルの中へ。再度カバーを閉め、中挽きに設定してから、ゆっくりとハンドルを回した。
 豆を挽き終えたら、ネルをドリッパーにかけ、サーバーの上へ置く。スプーンに五杯、コーヒー・ミルの引き出しに収まったコーヒー粉をすくって、ドリッパーの中心へ落とした。
 コーヒー粉が湿る程度、ドリッパーに湯を注ぎ、待つこと三十秒。続いて、今度はドリッパーの中程まで湯を注いで、その位置に液面を保持しながら、一杯分のコーヒーをサーバーに落とす。
 仕上げに、食器棚から真っ白なコーヒー・カップを下ろし、そっとコーヒーを注いだ。湯気に混じる芳しい香りが、鼻腔をくすぐる。
 カップの載ったソーサーを手にすると、同時に、店のドア・ベルが、カランカラン、と涼やかな音を立てた。
「こんにちは」
 廊下の奥から、男性の声が聞こえる。私はカップを手に、慌てず店へと向かった。
 自宅部分と店舗部分とを隔てるドアーを開けた瞬間、一人の客と目が合う。相手は、上から下まで黒を身にまとった青年だ。真夏だというのに長袖を着て、しかも、汗一つかいていない。彼は先週と同じ格好で、先週と同じように、穏やかな笑顔を浮かべて立っていた。
 私たちは、お互いに会釈する。
「いらっしゃいませ」
 言って、私はカウンターの上へカップを置いた。足下から丸椅子を引き出し、その席を青年に勧める。
「どうぞ、おかけください」
「ありがとうございます」
 青年は帽子に手をやって、軽く頭を下げた。椅子に腰掛け、カップを手に取り、いれたてのコーヒーを一口すする。その手順も、先週とほとんど変わらない。
「今日は、何をご所望ですか」
 私が問うと、青年はコーヒー・カップを、そっとソーサーに戻した。
「 『満月の涙』 をいただきたいのですが」
 私は、思わず聞き返す。
「 『満月の涙』 …… ですか」
「はい」
 笑顔を崩さないまま、青年は頷いた。
 このように、彼は毎週この店へ来る度に、難しい品を注文するのだ。それも、金銭で売れないような物ばかりを。それでも、彼の所望する品を出せなかったことは、まだ一度もない。
「置いてありますか」
「ええ、結晶なら」
 静かに席を立ち、私はカウンター正面の棚へ向かった。左から三番目の引き出しを引く。中に入っているのは、磨かれた水晶のように透明な、青いストケシアの細工物。
 私はそれを丁寧に持ち上げ、黒いコートの青年のもとへと持って行った。
「こちらです」
 私の掌ほどの大きさの、透明な花を手渡す。青年は、渡されたストケシアをまじまじと見つめた。
「これは、貴女のですか」
「ええ」
 頷く私に、青年は不思議そうな表情を向ける。
「なぜ、花なのですか」
 その、あまりに率直な問いに、私は思わず失笑しそうになった。やっと平静を装って答える。
「滴の流れ着いた先が、庭の花壇のストケシアのつぼみだったからです」
「なるほど、そういうことでしたか」
 青年は、軽く笑った。そして、再び花に目をやる。
「初めて見ますが、本当に綺麗な青ですね。満月の涙の結晶は、どれもこのような色をしているのですか」
「いいえ、色も形も、決まってはいないようです」
「そうですか」
 短く応えて、青年は、ふと黙り込んだ。何か、考え事をしているのかもしれない。
 私は、何気なく窓の外へ目を向けた。ガラスの向こうを、はす向かいの家に住む白い猫が、すまし顔で横切っていった。
 前の通りは日当たりが悪いため、大通りよりはいくらか涼しいものの、真夏の暑さは、石畳の上にかげろうを踊らせている。
 今日は、かなり気温が高いのだろう。
「ああ、そうか」
 突然、青年が言葉を発した。
 私は、慌てて正面を向く。青年は顎に手を当て、どこか遠くの一点を見つめていた。そして、その状態のまま、独り言のように二の句を継ぐ。
「瞳の色と同じなんだ」
 一言、真剣な表情で呟いた青年。私は思わず、声を上げて笑ってしまった。
 
 
 それからしばらくして、青年はカップのコーヒーを飲み干し、次の汽車に間に合うよう、先週と同じ時刻に店を発った。
 品物の代金が 「付け」 となったことも、先週と全く変わりはなかった。
 ただ、一つ違ったのは、青年が去り際、 「お邪魔しました」 に加えて、こう言い残していった点だった。
 
「 『追想』 。ストケシアの花言葉です」