黒猫雑貨店 第二幕 幻想夜想曲 2. 黒い外套

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 寒い冬の朝だった。窓の外に見える空は、重そうな白色。ちらちらと舞う雪が、今はきつね色となった庭の芝の上に、まだら模様を作り始めていた。
 これから、吹雪くのかもしれない。私はそう思い、店の窓の雨戸を閉めようと立ち上がった。
 暖かい暖炉の前を離れ、廊下を抜けて、店内へ出る。薄暗い室内には、木の香りと、微かな灯油の香りが漂っていた。
 金メッキの施されたドアノブに手をかけ、玄関のドアーをゆっくりと開く。カランカラン、と、涼やかにベルが鳴った。途端、全身を撫でる、ひんやりとした空気。私は、思わず身震いした。
 両の手をもみながら、三段の石段を静かに降り、足下に注意して、石畳の小道へ一歩を踏み出す。天を仰ぐと、ひとひらの雪が鼻の頂にふわりと落ち、溶けて消えた。冷たい。
 ふと、私は何かの気配を感じ、寒さのために凍りかけている首を、ぎこちない動作で右へ回した。頭に、錆びた歯車が動き出すような音が響く。
 まず、私の目に飛び込んできたのは、漆黒の一塊。それが、一人の男性であるということに気付いたのは、三秒の後だった。
 黒のソフト帽、黒の頭髪、黒のロング・コート、その下から覗く黒のトラウザース、黒のソックス、そして、黒の革靴。足下に置かれた、黒のアタッシュ・ケース。一見すると、いかにも怪しげな出で立ちだ。しかし、彼の醸し出す雰囲気から、危険さは微塵も感じられなかった。
 その男性は私の店の外壁に寄りかかり、気持ち背中を丸め、寒そうに両の手へ息を吹きかけている。革製の黒い手袋をはめている上からだったので、効果がないのでは、と思いはしたが、私は黙って見ていた。
 男性の立っている場所が、ちょうど窓のすぐ横だったので、彼に声をかけずしては目的を果たせそうにない。
 暫時、その場に立ったままでいると、やがて男性は私のほうを向いた。ようやく気付いたようだ。
 彼は穏やかに微笑み、帽子をとって軽く会釈した。
「おはようございます。いい天気ですね」
 いい天気。果たしてそうだろうか、と、私は少し考える。
 確かに、いい天気だ。
 そう思い、会釈を返す。
「ええ、本当に」
 その返事を聞き、男性は小さく頷くと、空を見上げた。私も、瞳を雲に向ける。降る雪の量は、外に出てすぐの時よりも、ずっと多くなっていた。
「こちらのお店は、貴女が一人で切り盛りされているのですか」
 そう言って、男性 ―― 否、青年と言ったほうがいいのかもしれない。彼は、 「黒猫雑貨店」 と浮き彫りされた金属板が取り付けてある、猫の形の黒い看板板を指さした。
 私はぎこちなく頷くと、動きの鈍くなった唇を開く。
「ええ、そうです」
 言葉と一緒に、ゆらゆらと白い蒸気が踊った。
「そうですか」
 青年はそう言って軽く笑い、再び空を仰ぐ。
「これから、吹雪きますね」
「ええ」
 マグカップに一杯の、甘いココアが欲しい。
 一陣のつむじ風が、粉雪と、私のシルバー・ブロンドの後ろ髪とを、ふわり、と巻き上げていった。
「それでは、お邪魔しました」
 一つ頭を下げ、青年は踵を返す。その背中に、私も一礼した。
「いいえ」
 青年は去り際、軽く帽子をかぶり直し、 「また伺います」 と、呟くように言い残していった。
 
 
 人気のない路地裏に、雪が、静かに積もる。
 私は手早く雨戸を閉め、足早に暖炉へと向かった。